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翻訳、評論の分野で活動するSNSI研究員の古村治彦のブログ
by Hfurumura
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「日本未来の党」結成に持った「違和感」:杞憂で終わるのがいちばんだ

アメリカ政治の秘密

古村 治彦 / PHP研究所



 現在、日本の政治は、12月16日に投開票が行われる総選挙に向けて動いています。そして、先週から今週にかけて大きな話題となったのが、「日本未来の党」の結成と、「国民の生活が第一」と「減税日本・脱原発」のすみやかな解党と合流でした。まるであらかじめ準備されていたかのように鮮やかに、少数政党が「日本未来の党」という軸に結集しました。

 私は、11月25日頃から、出ていた、小沢一郎氏新党結成の話が、次の26日には、嘉田由紀子(かだゆきこ)滋賀県知事と飯田哲也(いいだてつなり)氏による新党(日本未来の党)結成へと急速に進みました。「緑の風」の谷岡郁子参議院議員と減税日本の小泉俊明幹事長・代議士から、嘉田知事の新党結党と小沢氏たちの合流の話が出てきました。何が起きているのか分からずに、ただ茫然と見ていました。そして、嘉田知事と飯田氏の結党宣言、記者会見の後、減税日本・脱原発がすみやかに解党し、合流するまでのスピードにもまた茫然としていました。

 私は、現在の小選挙区比例代表並立制(英語でMixed-Member Districtと呼びます)では、小政党は不利なので、民主党や連立与党からの離脱組で、TPPや消費税増税に反対する勢力は一つに結集すべきだと考えていました。日本未来の党が結成され、小政党が結集していったことは、歓迎すべきことです。しかし、私は違和感を持っています。

 その違和感は、「どうして嘉田由紀子滋賀県知事と飯田哲也氏が代表と代表代行(本日の発表では副代表となるそうです)となる政党に結集しなければならないのか」という疑問の答えが見つからないことで起きているものです。もっと簡単に言うと、「どうして嘉田知事と飯田氏なのか」と不思議で仕方がないのです。

 私は、ツイッター上でいろいろと書きました。「これは小沢氏得意の川上作戦で、大阪を取るために淀川の上流の琵琶湖を抑えたのだ」などと半分冗談で書きましたが、それにしても、嘉田知事、そして、飯田氏という人選がどうしても分かりませんでした。今でもよく分からないということは書いておかねばなりません。

「日本未来の党」結成に持った「違和感」:杞憂で終わるのがいちばんだ_c0196137_0441489.png


 嘉田知事は京都大学大学院で博士号を取得した文化人類学者であり、飯田氏もまた京都大学卒です。嘉田知事は探検部、飯田氏はワンダーフォーゲル部にそれぞれ所属していました。京都大学で自然に挑戦する、探検するということになると、思い出されるのは、故今西錦治京大教授です。戦前から戦後にかけて京大探検隊を率いて中央アジアなどを踏破した今西教授の系譜を2人は受け継いでいると考えられます。今西探検隊がただの冒険ではなかったことはよく知られています。そして、今西教授の系譜に連なる2人がただのリベラル学者ではないということは容易に連想されます。また、文化人類学という学問分野は、決して純粋な学問分野ではないということも重要です。

 嘉田知事は、京都大学大学院在学中に、アメリカのウィスコンシン大学に留学しています。その時期は1970年代半ば頃と思われます。この時期のウィスコンシン大学には、日本研究者のジョン・ダワー(現MIT教授)やスーザン・ファー(現ハーバード大学教授)、そして、T・J・ペンペル(現カリフォルニア大学バークレー校教授)がいました。この日本研究者の顔ぶれを見ると、私が拙著『アメリカ政治の秘密』で取り上げた、ジャパン・ハンドラーズの系譜とはまた異なる、リベラルな日本研究者の系譜があり、嘉田知事がそのリベラルな系譜に連なる人物であることが分かります。

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T・J・ペンペル

 私は最初、この裏に武村正義元代議士がいるのではないかと考えました。武村氏は、新党さきがけ代表として、細川連立政権を樹立し、その後、自社さ連立政権にも参画した、バルカン政治家です。武村氏は、八日市市長や滋賀県知事を歴任しましたが、武村氏が滋賀県知事時代、嘉田由紀子知事は、滋賀県庁に入庁し、滋賀県立琵琶湖博物館の研究員となっています。滋賀県立琵琶湖博物館は武村知事の時代に、武村氏の肝いりで創設されました。こうした点から、嘉田氏と武村氏は人脈的につながっているのだろうと私は考えました。

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 そして、武村氏からの連想で、田中秀征氏の名前を思い出しました。田中秀征氏は、新党さきがけの理論的支柱であり、武村氏の側近、細川連立政権では、細川首相補佐官、自社さ連立政権では経済企画庁長官を務めました。1996年に落選して以降は、文筆、評論活動をしています。現在では、みんなの党の熱心な賛同者であることも知られています。田中秀征氏はただのリベラルではなく、その経歴や動きを見ると、ヌエ的、非常に自民党的な人物であり、彼の1990年代の動きは、結局、「第二自民党を作る」ということに収斂されるのではないかと考えます。

 また、いわゆる「改革」志向ということで、小泉純一郎氏を高く評価し、小泉政権が続いている間、その応援団でありました。そうした点から、私は、田中秀征氏を疑いの眼差しで見ています。概して日本の政界でクリーンだとかリベラルだとか呼ばれている政治家の多くは、その実態は全く反対であることが多く、そんな人たちは長年政治の世界に生き残り、影響力を与え続けるという共通の行動をしています。田中秀征氏もただのリベラルではないし、保守的な部分が多い人物だと思います。そして、何か裏があるように感じます。

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 私は、田中秀征氏が、あまり関係の良くなかった小沢氏を最近では評価しているという点に注目し、もしかすると、田中氏が小沢氏の側近で、理論的支柱である平野貞夫氏と話をつけて、嘉田氏を担ぎ出したのではないかと考えました。ここまでは私の妄想、といってしまうのは何なので、仮説ということになります。

 そこで、田中秀征氏が今度の日本未来の党の結党についてどのように言っているのかを見ていきたいと思います。田中氏はダイヤモンド社の情報サイトDIAMOND ONLINEで、「田中秀征 政権ウォッチ」というコラムを持っています。最新のコラムで、日本未来の党について取り上げています(http://diamond.jp/articles/-/28615)

最新のコラムのタイトルは、「嘉田知事の「日本未来の党」が総選挙の鍵を握った 選挙構図も政権の枠組みも激変する!?」というものです。

 このコラムの中で気になる記述は以下のものです。コラムから引用します。

(引用はじめ)

 「みんなの党」はどうするのか。競合区をめぐるいさかいで既に維新との合流も選挙協力もなくなった。

 第三極B、すなわち日本未来の党と何らかの連携をするのが効果的だが、日本未来の党への合流は「TPP問題」でいかにも困難だ。

 一体、TPPは頭を下げて入れてもらうようなものではない。いわんや日米同盟の強化とは筋違いの問題だ。みんなの党がTPPに前のめりで、金融経済に関心を集中しているかのような印象は、多くの人の支持を戸惑わせもう一段の躍進を妨げていると思う。

 みんなの党がAとBの間に単独で残る道もある。

 総選挙後は、AとBが協力して統治構造の改革の最優先課題に取り組まねばならない。

 みんなの党が躍進したのは、あくまでも行政改革、官僚改革など統治構造の改革に本気で立ち向かう唯一の集団であると受け取られてきたからだ。その点では有権者からの信頼は他党の追随を許さないものがある。

 そのみんなの党は総選挙後AとBを連携させるかけがえのない接着剤とならねばならない。また、第三極中心の政権が樹立できれば、その政権の中核的存在になることが期待される。だからAとBの間にひとり身を置くことは最も有力な選択肢と言える。


(引用終わり)

 田中氏は、みんなの党の熱心な応援団、支援者であり、みんなの党の政治家たちの先生格であると言われています。コラムの文章で、みんなの党の応援をしているのは驚きませんし、田中氏の立場からすれば当然だと言えます。しかし、問題は、第三極をひとくくりにして、橋下氏率いる日本の維新の会をA、日本未来の党をBとし、みんなの党が第三極のAとBをくっつける、まとめる接着剤の役割を果たすべきだと述べている点です。

 日本維新の会と日本未来の党の協力ということは普通考えられないことです。しかも、みんなの党がその接着剤の役割を果たすというのです。日本維新の会とみんなの党はバックが同じであり(竹中平蔵氏ら慶應義塾の大学教授たちや経営コンサルタント系、堺屋太一氏など。大きく言えばアメリカ)、ここがくっつくというのは分かります。そして、それが自然です。それに日本未来の党が協力関係になるというのです。

 私が持っていた違和感の原因は、実をいうとここにありました。つまり、嘉田知事にしても、飯田氏にしてもただのリベラル学者系という訳ではなく、もっと政治性のある人たちです。そして、この2人は、橋下徹大阪市長とは良好な関係を築いてきた人たちです。新党結成の日にも嘉田知事は橋下市長からメールを受け取っています。嘉田知事は、橋下氏とも協力関係を築いてしまうのではないか、みんなの党にも手を差し伸べるのではないかということが、私の頭にありました。そうなれば、小沢氏はまた排除されてしまうのではないか、アメリカのバックアップを受けている政党ばかりが日本政治の世界に出現してしまうのではないかという心配がどうしても拭い去れません。

 この田中氏の論稿は、そのような未来が来てしまうのではないか、田中氏がそのような仕掛けをしたのではないかと今でも私は疑いを持っています。つまり、田中氏が動いて、第三極の結集のために、嘉田知事という橋下氏とも、渡辺氏とも、小沢氏とも手をくめる人物を持ってきて、小沢氏と合流させた、という疑いを私は持っています。

 そして、第三極の結集ということで、リベラル派と目される日本未来の党が第三極の軸となって、日本維新の会、みんなの党と組むというそんなシナリオを無意識に感じ取って、私は違和感を持っていたのだと思います。そして、このシナリオを田中秀征氏が提示したことでもっと不安になっています。

 しかし、現在は総選挙も日いちにちと近づき、臨戦態勢です。私は、自分の持つ不安感をある程度押し殺しながら、「それでも日本未来の党を支持しよう」と考えています。

 このような疑いや不安は、私のただの心配性からでた妄想で、「バカな話だったなぁ」ということで終われば最高です。しかし、私は自分が持った違和感について書いて残しておくべきではないかと考えました。そして、このような拙い文章にしました。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

(終わり)

アメリカが作り上げた“素晴らしき"今の世界

ロバート・ケーガン / ビジネス社


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