翻訳、評論の分野で活動するSNSI研究員の古村治彦のブログ
by Hfurumura
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カテゴリ:個人的なこと( 7 )

明けましておめでとうございます

旧年中は大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

現在、新作の準備をしております。そのため、ブログの更新が滞りがちとなります。

それでも時間を見つけてブログを更新してまいります。

今年も「古村治彦の酔生夢死日記」を宜しくお願い申し上げます。

最後になりましたが、2013年が皆様にとって、実り多き、良い年となりますことを
心から祈念申し上げます。

古村治彦拝
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by Hfurumura | 2013-01-06 12:24 | 個人的なこと

2012年、大変お世話になりました

アメリカが作り上げた“素晴らしき"今の世界

ロバート・ケーガン / ビジネス社



 2012年12月31日大晦日を迎えました。今年一年、皆様には大変お世話になりました。どうもありがとうございました。

 私にとりまして、2012年は記念すべき年となりました。初めての単著『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所)を上梓しました。また、ロバート・ケーガンの著書の翻訳『アメリカが作り上げた“素晴らしき"今の世界』(ビジネス社)も刊行しました。

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 今年、世界の多くの国々で国政選挙が行われました。日本でも総選挙が行われ、民主党から自民党へと政権交代が行われました。2013年には、日本のアメリカの「下請け化」が進むものと思われます。

 2013年、私たちは「生き延び」ながら、「終わらない民主政治」の擁護を続けていかねばならないと考えます。2013年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 読者の皆様には、良い年末年始をお過ごしになれますように、お祈り申し上げます。

(終わり)

アメリカ政治の秘密

古村 治彦 / PHP研究所


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by Hfurumura | 2012-12-30 20:06 | 個人的なこと

私のソウル滞在記③

アメリカが作り上げた“素晴らしき"今の世界

ロバート・ケーガン / ビジネス社



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ソウルの地下鉄路線図


最終日は、午前中に景福宮(キョンボックン)と宗廟(チャンミョ)に行きました。ホテルの前に地下鉄の駅(乙支路入口、Euljiro 1(il)-ga)から地下鉄2号線に乗って次の駅(乙支路3街、Euljiro 3(sam)-ga)で地下鉄3号線に乗り換えて、景福宮(Gyeongbokgung)で降りました。駅から歩いてすぐのところに景福宮がありました。景福宮は李氏朝鮮の太祖、李成桂(りせいけい・イソンケ)が1394年に建設した王宮です。これまでの歴史で何度も焼失していますが、今は正殿などが復元されています。立派な建物だと思いましたが、どうも気持ちは動きませんでした。

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光化門

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勤政殿(王の玉座がある)

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慶會楼

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世宗路の様子

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曹渓寺の大雄殿

宗廟(チョンミョ)は、韓国人の友人たちにぜひ見ておくべきだ、世界遺産だからと言われていたので、行ってみました。地図を見ながら、景福宮から、曹渓寺(チョゲサ)を経由して、宗廟に向かいました。地下鉄の駅2つくらいの距離でしたが、ぶらぶら歩いたために結構時間がかかりました。宗廟は、世界遺産であり、普通の観光地のように、ぶらぶら入っていくことはできません。日本語、英語、中国語のガイドがある時間がそれぞれ決まっていて、私は10時40分に始まるガイドのツアーに参加することができました。宗廟は、李氏朝鮮の歴代の王と王妃の位牌が祀られている、いわば「死者の宮殿」のようなものです。石畳の道がありますが、真中は魂が通る道であり、今でも通ってはいけないことになっています。大変静かで、歴史を感じることができる場所です。

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正殿(歴代の王と王妃の位牌が祀られている)

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永寧殿(正殿に祀られなかった王質の位牌が祀られている:病気で早く亡くなった、業績が乏しいなどの理由)

宗廟からは、歩いてすぐにある鐘路3街(Jongno-3(sam)-ga)駅から地下鉄3番線に乗り、乙支路3街で2号線に乗りかえてホテルのある乙支路入口まで戻ってきました。明洞で、ソルロンタンという牛肉を煮込んだスープと餃子を食べ、ロッテデパートをぶらつき、お土産を買いました。買いものらしいものはこの時だけでした。明洞では、洋服や化粧品の大きなバッグをいくつもぶら下げた日本の女性たちがたくさん歩いていました。明洞ではショッピングを楽しむことができます。ロッテデパートの免税店に行けば、世界的なブランドの化粧品や時計が並んでいます。しかし、ここでは中国人の客が多くを占めていました。日本の女性たちはここまではあまり来ないように感じました。

しばらく休息した後、国立中央博物館に向かいました。ここで午後6時に友人たちと待ち合わせということにしていました。明洞駅から地下鉄4号線を使い、二村(Ichon)で降りて、博物館に向かいました。この博物館は最近建て直しされたもので、全てを見て回るには半日はかかるほどの大きな建物です。私は、一回の歴史の展示コーナーを見て回りました。速足で歩いても1時間はゆうにかかる広さです。石器時代から日本併合される直前の大韓帝国時まで網羅しています。その中で興味深かったのは、加羅(日本では任那と教えられています)の扱いです。私は、任那には日本府があり、日本の植民地的な存在であったと教えられた記憶があります。しかし、展示では、加羅は、小国が集まり、自由な貿易圏として存在したと書かれています。また、渤海という国に関しては、高句麗の遺民が
建国したということで、現在の中国の東北部も朝鮮半島に含まれるのだという主張がなされています。これは、さすがに中国は嫌がるだろうなと思いました。

歴史上の事実は一つですが、その解釈はいろいろあり、国民国家が世界の主流になって以降、その正統性を主張する道具となってきました。私たちが日本で育ち、日本の学校で習ってきた歴史と、韓国で育った友人たちが習ってきた歴史は、当然違うものです。そこで、いちいち怒ったり、馬鹿にしていたりするのは愚かとは言いませんが、生産的ではないと思います。このことは、どの国に対しても言えることであり、ここは相互不干渉でいくべきであり、あまり他国を批判すべきではないと思います。これは韓国に対しても思うし、他の国々にも思うことです。

博物館で友人たちと落ち合い、江南地区にある、韓定食(ハンジョンショク)の名店に向かいました。私は韓国語が分かりませんが、友人が「ヨヤク」という言葉を使ったので、それはreservationのことでしょうと言うと、「日本語から来ている言葉が結構あるよね」と教えてくれました。韓定食とは、ご馳走を机いっぱいに並べて食べるもので、私が食べたのは、田舎風の韓定食ということでした。この店でいったん別れ、彼らは仕事に戻りましたが、最後の夜ということで、10時過ぎにはまたホテルに来てくれて、最後の酒を酌み交わしました。私は彼らが東京に来たとき、彼らほどのことをできるかと思うほど、お世話になりました。

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韓定食①

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韓定食②

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韓定食③

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韓定食④

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韓定食⑤

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韓定食⑥

※すべての写真を掲載することはできませんでした。

翌日は朝10時10分発の飛行機だったので、朝六時に起き、体操の内村航平選手の総合の演技を見ながら準備をして、金メダル奪取を確認後、ホテルを出ました。ホテルの前に、リムジンバスが来るので、それに乗り、仁川に向かいました。8時過ぎに空港に着き、チェックイン後、空港内を歩き回りました。そして、大韓航空KE703便で成田に13時過ぎに到着しました。

以上が、私の韓国滞在の概要です。伝えたいことが多く、勢い込んだ、まとまりのない文章になってしまいました。大変申し訳ありません。ここからは、私が韓国滞在を通じて考えたことを書きたいと思います。

その前に、韓国のお金のことを書かねばなりません。大事なことを忘れていました。円とウォンの交換レートですが、ホテルの近くの両替所では、1万円が14万2千ウォンでした。これは空港や銀行よりも率が良いレートです。私が日本の成田空港で3万円を両替した時は37万ウォンでした。私はショッピングが目的でもなく、食事代も多くを友人たちが出してくれましたので、現金は6万ウォン以上残りました。買ったもののほとんどは、水やジュースでした。近くのコンビニ(セブンイレブン)で韓国のミネラルウォーターを良く買っていましたが、これが1.5リットルで2200ウォンですから、だいたい140円です。日本のコンビニでは恐らく倍くらいするでしょう。

また、道々にある自動販売機のポカリスエットが500ミリリットルで1500ウォンでした。また、明洞にある日本人が多く行くお粥屋では8000ウォンくらい、ソルロタンという牛肉を煮込んだスープは7000ウォン、餃子(日本風とは異なり、饅頭のよう)は5000ウォンでした。物価は日本の半分から3分の2といったところでしょうか。日本の感覚では物価は安く感じます。しかし、韓国の人々にとってはどうなんでしょうか。以下のサイトに韓国の平均月収が出ています。http://www.777money.com/torivia/torivia4_4.htm これによると、ソウルの平均月収(実質)が14万円だそうです。これを見る限り、大企業で年収が良くなければ、ソウルで暮らしていくのも大変ではないかと思われます。これは日本も一緒ですね。

韓国に行く時に、ダイヤモンド社の『地球の歩き方』を持っていったのですが、この中に書かれていて、大変印象に残ったのが、「ここが外国であることを忘れてはいけない」という文でした。確かに明洞あたりは、日本語が氾濫し、客引きも日本語を話します。だから、ついつい日本にいる時と同じ感覚に陥り、トラブルに巻き込まれる日本人旅行者が多いとのことです。

私は、韓国と日本との関係にも、「外国であることを忘れてはいけない」ということが重要ではないかと思います。「そんなことは当たり前ではないか」と言われる方も多いと思います。しかし、日韓双方、お互いをもっと「外国」として遇し、けじめというか、距離感を持つべきではないかと思います。

また、私は、韓国滞在を通じて、「自分の洋服サイズはLで、確かにLと言われて買ってきたシャツの袖が少し長い、丈が少し短い、だけど着られないほどではない」という感覚に捉われてきました。「韓国は日本によく似ているな」というのは恐らく、韓国を訪問した日本人の多くが持つ感覚だと思います。韓国の中に、日本の影響を感じます。しかし、それが何か違うのです。日本のものそのままという訳ではないのです。それは当然です。外国ですから。しかし、「外国にいる(である)」という感覚を持たないと、これが大きな違和感や苦痛を生み出します。「なんで違うのか」「なんで分からんのか」ということになります。

ですから、これはあらゆるレベルの日韓関係に言えると思うのですが、お互いが「外国」であるということをもっと意識すべきなのだと思うのです。そうすれば摩擦や衝突が少しは減るのではないかと考えます。

現在、日韓の間には竹島問題が横たわり、それがオリンピックのサッカー男子の日韓戦にまで影響を与えています。李明博大統領による竹島訪問ですが、これは選挙向けということが大きな理由であると私は考えます。李明博大統領は、期たる大統領選挙に出馬できません。そこで、与党セヌル党の朴ウンへ氏(元大統領である朴正煕・パクチョンヒの娘)を支援しています。友人たちに言わせると、これは李氏が大統領退任後に逮捕されないためだそうです。そして、李明博氏は朴氏のサポートのために、選挙での支持を得るために、竹島を訪問したと私は思います。選挙でもなければ、李氏もそこまでのことをしたかどうかは疑問です。

故山本夏彦翁は「ロバが旅に出て馬になって帰ってくるわけではない」という警句を紹介しています。確かにそういう面もあるでしょう。しかし、臆病なロバが、馬では気づかないものを注意深く見ていることもあると思います。私はまず間違いなく、ロバでありますが、今回の私の滞在記が皆様のお役に立つことを今は願うばかりです。

最後まで読んでいただきまして、誠にありがとうございました。

アメリカ政治の秘密

古村 治彦 / PHP研究所


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by Hfurumura | 2012-08-13 01:32 | 個人的なこと

私のソウル滞在記②

アメリカが作り上げた“素晴らしき"今の世界

ロバート・ケーガン / ビジネス社



翌日は午前中自由行動ということで、まずホテルの近くにあるお粥屋さんに行きました。ここは、村山元首相も来たことがあるということでした。私が行った午前8時半、お客さんは全員日本人でした。ここでアワビとマツタケの入ったお粥を食べました。薄味でなかなか美味しかったです。その後、明洞を象徴する建物である明洞聖堂(ミョンドンソンダン)に行きました。このカテドラルは1898年にフランス人神父コストによって建設されました。韓国のカトリックの総本山です。韓国の民主化(1970年代から1980年代の世界各国における民主化)において明洞は大きな役割を果たしました。ヨハネパウロ二世がこの明洞聖堂を訪れ、民主化運動の過程で亡くなった人々のお葬式が執り行われるなどしました。

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明洞聖堂

その後、ホテルに頼んでいた車で南山(ナムサン)地区、ケーブルカー(日本で言えばロープウェイ)乗り場まで連れて行ってもらいました。このケーブルカーに乗って、Nソウルタワーに行ってきました。ロープウェイは往復で7500ウォン(約515円)、タワーに上るのに8000ウォン(約560円)かかります。このタワーからはソウルが一望できます。ソウルという都市は山に囲まれ、漢江に貫かれた風光明媚な場所であり、李氏朝鮮の太祖李成桂(りせいけい)がこの場所に王宮を建設しただけのことはあるなと思わされます。

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Nソウルタワー

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タワーから漢江を望む

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ソウル市内を望む

タワーからロープウェイの発着所に着き、地図を見ながら、「これは歩いて明洞まで帰ることができるのではないか」と思い、思い切って歩いて見ることにしました。ロープウェイの発着所からエレベーターで下まで下り、道路標識に従って、アシアナ航空のビルを右折し、明洞まで歩いて20分程度で帰ってくることができました。途中、新世界(シンセゲ)百貨店を左手に見ました。このデパートは日本統治下では三越だったそうです。大きな通りを通りながら、明洞に向かっていったわけですが、明洞に近づくにつれ、日本語の書いてある看板やお店の宣伝がどんどん増えていきました。間違った方向に行っていないことがそれで分かりました。

午後3時に友人たちとホテルで待ち合わせ、タクシーで汝矣島(ヨイド)にある国会議事堂に向かいました。国会議事堂に着くと、正門でほとんど何もチェックを受けず、同じ敷地内の議員会館まで向かいました。そして、友人たちがインターンをしていた国会議員の部屋に向かいました。議員会館は新しい建物で、一人一人の部屋は大変広いものでした。公設のスタッフは5名、その他にインターンにも国から給与が支給されるということでした。また、議員会館の5階に各党の有力議員が多く部屋を構えているということでした。

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議場にて友人たちと

議員は不在でしたが、友人たちの大学(韓国の中央大学、Chung-Ang University)の後輩である、第一秘書さんが応対をしてくれました。そして、国会議事堂の中を見学させてくれました。小学生や中高生が学校の遠足や研修で数多く来ていました。中高生になるとさすがに真面目に見学していましたが、小学生は元気いっぱいで、どこもこんなものだろうなと微笑ましくなりました。敷地内は電気で走る乗合自動車が定期的に走っており、それに乗って国会図書館や記念館、それから迎賓館なども見学しました。1時間ほどでしたが、大変有意義なものとなりました。

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国会議事堂敷地内にある迎賓館(うまく撮れませんでした)

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サムギョプサル

その後、汝矣島にある有名なサンギョプサル(豚の三枚肉)の店に行き、食事を楽しんだ後、漢江の南、河南(ハンナム)地区に地下鉄で向かいました。ここで初めて地下鉄の乗りかたを教わりました。ソウルの地下鉄はT-Moneyという、スイカのようなカードを買い、改札にそれをかざします。このT-Moneyには2種類あり、スイカのようにチャージができるものと、1回しか使えない切符のようなものがあります。券売機は英語、日本語に対応しています。私はいつも1回きりのものを買っていました。行き先の駅を押すと料金が出ます。この分に500ウォン分保証金がかかります。この保証金は行き先の駅の改札を出たら、払い戻し機があり、硬貨で500ウォンが戻ってきます。初乗りが1150ウォン(約80円)です。私が最長で乗った新盤浦(シンバンポ)から乙支路入口までが駅が11個あり、1250ウォン(約90円)でした。ソウルの移動は地下鉄が便利だなという印象を持ちました。ただ、日本よりは運行時間などの厳格さはありません。どうしても、2、3分遅れてしまいます。

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公園から望む麻浦大橋

話がそれましたが、汝矣島でサムギョプサルを食べた後、地下鉄で漢江市民公園に行きました。水辺の公園には多くのカップルや家族連れが、食べ物などを持って涼みに来ていました。この公園に中には、廃止された浄水場を使った庭園があります。浄水場の施設にうまく植物を植えて、廃墟と自然のコラボレーションを作り出しています。ここを歩いていると、友人たちは、「未来少年コナンに出てくるみたいでしょ」と言います。私は正直、再放送の全てを見ていないのですが、友人たちは私よりも少し年上で、子供の時、日曜日の朝、コナンを楽しみに早起きして、テレビにかじりついて見ていたと言います。そのつながりで宮崎アニメも全て見ているそうです。現在、日本文化の世界進出が良く言われていますが、その萌芽が既に30年以上前からあったのだと実感しました。

その後、タクシーで明洞に戻り、ロッテホテルの裏にある居酒屋街に行きました。明洞には、大企業の本社が数多くあります。韓国電力公社、外換銀行、IBK銀行、ハナ銀行(ミョンドン支店の建物は旧朝鮮銀行の建物です)、ハンジンなどが本社、大きな支店を構えています。ですから、サラリーマン(しかもエリートサラリーマン)の街でもあります。居酒屋街の中の一軒に入りました。料理は2万ウォン(約1400円)から3万5千ウォン(約2500円)でした。ここで刺身とビール、焼酎を頼みました。そして、いわゆる「爆弾酒(焼酎とビールを混ぜたもの)」を作ってもらいました。若い人たちは焼酎をいっぱい入れるそうですが、年齢が上がると、焼酎を少し入れて、ビールを混ぜて、風味を楽しむという感じになるそうです。私たちは中年ですので、マイルドな爆弾酒を作ってもらいました。

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爆弾酒と刺身を楽しむ

私たちの隣のテーブルではサラリーマン風の男性10人ほどが乾杯を繰り返し、楽しそうに話していました。私は友人に「あの人たちはどんな話題で盛り上がっているの」と聞くと、「上司の悪口と仕事の話をしている」と教えてくれました。私は、日本研究者である彼らに、「東京に来たら新橋に行こうよ、同じような光景が見られるから」と言うと、「是非」と言って笑っていました。現在、日本では若い人たちが会社の同僚や先輩とお酒を飲まない、コミュニケーションがうまくできないという報道がなされています。しかし、彼らの楽しそうな姿を見ていると、昔の日本もこんな感じで、「やってやろうじゃないか」という元気な感じだったのだろうかという思いに駆られました。

アメリカ政治の秘密

古村 治彦 / PHP研究所


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by Hfurumura | 2012-08-12 23:39 | 個人的なこと

私のソウル滞在記①

アメリカが作り上げた“素晴らしき"今の世界

ロバート・ケーガン / ビジネス社



私は2012年7月30日から8月2日にかけて韓国のソウルに行ってきました。目的は、アメリカ留学時代の友人たちと会うことと、韓国の首都ソウルを自分の足で見て回ることでした。今回は私にとって2回目の韓国訪問となりました。1987年、当時中学一年生だった私は母親に連れられ、韓国を初めて旅行しました。もう25年も昔のことで、記憶も薄れていますが、金浦空港ではライフルを持つ兵士が警戒に当たっていたのは鮮明に覚えています。それ以来の韓国訪問となりました。これから皆様に私のソウル滞在記をお読みいただきたいと思います。

※写真に関しては、自分の撮影した写真ではないものも含まれております。

2012年7月30日13時成田空港発の大韓航空704便に搭乗し、仁川(インチョン)国際空港に15時15分に到着しました。その後、ソウル市内に行くリムジンバス6015線に乗り(運良く、15時56分発のバスの1分前に乗り込むことができました)、ソウルの繁華街である明洞(ミョンドン)にあるホテルに17時15分に到着しました。途中、ソウルを東西に流れる漢江(ハンガン)沿いの高速道路で渋滞につかまりましたが、大体予定通りに到着しました。

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インチョン国際空港の内部

インチョン国際空港からはリムジンバスと鉄道がソウル市内に向けて出ています。鉄道はインチョンとソウル駅を43分でつないでいます。リムジンバスは、ソウル市内の停留所の数の違いで、時間が多少違います。バスだと行き先にもよりますが、大体1時間半くらいと見ておけば、間違いはないようです。料金は私の乗ったリムジンバスで10000ウォン(約700円)でした。インチョンからソウルに向かう風景は田園風景、開発途上の風景、そして巨大なアパート群と変わっていきました。この感じは成田から都心に向かうのとよく似ています。

18時、ホテルの入り口でアメリカ留学時代の友人たちと再会しました。彼らは、現在韓国のある大学の講師(常勤と非常勤)をしています。早速、明洞にあるカムジャタンという鍋の店に行きました。この店(ウォンダンカムジャタン)は日本のテレビでも紹介されており、日本語のメニューや日本語が少し理解できる店員さんがいるお店です。カムジャタンはロサンゼルスに住んでいた時、週に1回は食べていたほどのお気に入りです。

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カムジャタン

カムジャタンという料理は豚の骨付き肉(豚骨)とジャガイモを煮込んだ少し辛い鍋料理です。辛いですが、大変に美味しい料理です。このカムジャタンとチヂミ、ビールで友人たちと再会を祝しました。彼らは日本政治の研究者ですので、日本政治に関する日本語の本と、カステラをお土産に持っていきました。彼らからは、私が自著を出版したことへのお祝いということで、これ以降の一緒の食事の代金は全て向こうが払ってくれました。友人というのは本当にありがたいものです。

その後、明洞のロッテデパート、ロッテホテルを左に見ながら、南大門路を北に歩きました。途中で普信閣(ポシンガク)という鐘楼(しょうろう)を見ました。これは李氏朝鮮時代には朝夕に鐘が鳴らされ、それで城門が開閉されていたそうです。この鐘楼があったことから、ソウルのこのあたりの地区は鐘路(チョンロ)と呼ばれるようになりました。現在は、大晦日に、大統領とソウル市長が登楼し、鐘を突くのだそうです。鐘路地区は、日本支配時代にはソウルの中心地区として栄えていたそうですが、「その時には日本のやくざと朝鮮のやくざが頻繁に抗争をしていたそうだよ」と友人が教えてくれました。地元の人は変なことをよく知っているものです。

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普信閣

私たちは、韓国仏教最大の宗派である大韓仏教曹渓宗の総本山である曹渓寺(チョゲサ)に向かいました。夜7時過ぎでしたが、多くの人々が煌々と灯りのついた本堂でお祈りを捧げていました。お祈りのスタイルですが、一回一回体を投げ出す人も結構いました。また、お寺の色彩も鮮やかで、私は、チベット仏教の影響が大きいのではと考えています。朝鮮半島北部は地図を見ても分かるように、中国東北部やロシア極東沿岸部にも接しており、こうした地域から、モンゴルによってチベット仏教が伝えられたのではないかと考えます。

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曹渓寺

私は友人たちに仏教と王室(特に李氏朝鮮)の関係について質問してみました。李氏朝鮮は、儒教によって国を治めていたはずだが、仏教との関係はどうだったのか、と。彼らは、王室も仏教を信仰していたそうだ、しかし、政府内の上層部を形成するエリートである両班(ヤンバン)たちが仏教弾圧を行ってきたとのことでした。ヤンバンが持つ仏教のイメージは堕落、腐敗しているというものだったそうです。

その後、チョゲサを出て、仁寺洞(インサドン)という地区に向かいました。個々はおしゃれな画廊や雑貨を売っている地区です。演劇や映画のポスターもたくさん貼ってあり、東京で言えば、下北沢のようなところなのだろうと思います。ここをブラブラして、マッコリを飲むことになり、静かな雰囲気の良いお店に入りました。このお店は、1980年代に流行ったスタイルの、田舎の民家風のスタイルのお店でした。今はなかなかこのようなお店は流行らないということでしたが、ここでマッコリとイカを茹でたものをいただきました。音楽は、1980年代の民主化運動が盛んだったときに流行った歌で、日本やアメリカのフォークの影響を受けていることが分かります。ある歌の歌詞は、韓国の代表的な詩人である、金芝河(キムジハ)の詩が歌になったもので、歌詞の一節は私でも聞き取れました。「ミンジュジュギ、マンセー(民主主義、万歳)」と。

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マッコリ

その後、また南大門路を歩いて、明洞に帰りました。途中には鐘路タワーという三星(サムソン)財閥(チェボル)が建設した高層ビルがあります。このビルには一時期、韓国国税庁が入っていたということでした。今は、おしゃれなお店やレストランが入り、また上からの眺めは最高だということでした。明洞から歩いてすぐ、大変に目立つ場所にありますので、散歩コースとして最適です。

この日は明洞からチョゲサなど約40分間歩きました。翌日は、友人たちが汝矣島(ヨイド)という漢江の中の島にある国会議事堂(クックェウィサダン)に連れて行ってくれるということになりました。ガイドブックによると、事前予約が必要だと書いてあるから今からでは無理じゃないか、日本の国会議事堂は当日行って入れてくれと言っても恐らく無理だよ、韓国もそうじゃないの、と私が言うと、大丈夫、コネがあるからということでした。私は半信半疑でしたが。

アメリカ政治の秘密

古村 治彦 / PHP研究所


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by Hfurumura | 2012-08-12 23:18 | 個人的なこと

解雇処分(反省と反論をこめて)

こんなことを書いていいのか分かりませんが、何に書いていいのか、何を書いていいのか分からず、ここに書きます。今の混乱した頭を落ち着かせたいと思います。

 今日(正確には2009年3月21日)、勤務先から解雇処分(馘首)を言い渡されました。理由は教えてもらえませんでしたが、私の尊大さが招いたものだと、反省をします。と書いても、信じてもらえないほどに、私は尊大であったと思います。

 私は、今、自分自身を嫌悪しています。こんなことは尾崎豊好きの中高生が書くようなことですが、失敗すると、やはり自分が情けなくなります。年齢がいくつになっても、やはりそうではないかと思います。

 「自分が正しいとばかり思っている」という指摘を受けましたが、これについて私の考えを述べたいと思います。自分が正しいと思うことを意見として述べることはありました。しかし、自分が正しいとは思っていません。自分の意見が通らないことで、悪感情を募らせることはなかったとは言えないけど、飛びぬけて多かったとは思いません。こ

 また、「他人を下に見ていた」ということは、そういう態度であったことは、そうならないように努力したとは思いますが、それがちゃんとできていなかったと思います。しかし、人を見下すということはしたくないと思い、そうしないように努力しなくては、と常々思っていました。

 こんな言い訳を書いても、結果はできていなかったのだから、これからは、教訓として、反省していかねばなりません。

 「あなたには何を言っても無駄だ」という態度を取る人がいます。その上から見た態度、はっきり言って、不快です。相手に分かってもらえるまで、たとえそれができなくても、相手に何かを言う、という努力を最初から放棄して、何か合意ができるのでしょうか。

 「自分が下に見られている」という感情を、そこで逆転させているとしか思えません。こんな中学生みたいなことを書いては駄目ですよね。分かっているんだけど、感情的になってしまいます。

 冷静沈着と、諦観と、本当は欲しいのです。それが無理だから「酔生夢死」ってタイトルにしているんですが。「泥酔餓死」にならないようにしなくては。

 こんな不快な文章は最悪です。読んでもらえた人たちにも申し訳ないと思います。

 ただひとつ、最後に言いたいこと。官僚主義に未来はないし、文章を売りにしている団体で、文章を書かない人たち数名に毎月高額の給料が支払われているのはやはりおかしい。そして、昼間からゲームをしている、トランプをしている、映画を見ている、人から「天佑に似た貴重なお金」と言って集めたお金を無駄にしている。それはやはりおかしいのではないでしょうか。

(終わり)
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by Hfurumura | 2009-03-22 00:26 | 個人的なこと

無関心であることの残酷さ

こんなことを書くと、中学生みたいだと思う人がたくさんいることでしょう。馬鹿じゃないか、と思われるでしょう。

ある人から、無関心でいることの大切さというか、無関心であることが自分を守ることになる、ということを言われました。自分を守る、ということが意味することがそれぞれ違いますから、一概には言えないことですが。

人類の歴史の話にしてしまうと、馬鹿げたようになりますが、人類の残酷な行いや振る舞いは無関心から発生していることがほとんどです。ナチスを例にとればよく分かります。ナチスの台頭に無関心であったがゆえに、最後は自分たちが逮捕され、銃殺されることになったカトリック神父が語った言葉が思い出されます。

「彼ら(ナチス)が国会議事堂に放火し、共産党員たちを逮捕した時、私たちは何も言わなかった」

「彼らがユダヤ人たちを強制収容所に送り始めた時、私たちは何も言わなかった」

「彼らが教会を取り囲んだ時、私たちは何もできなかった」

正確には覚えていませんが、このような内容であったと思います。

まぁ、こんなことが私たちの日常と何か関係があるのかと言われると、ないでしょう、と答えるしかありません。しかし、関心を持つから、意見が生まれ、意見と意見が交わされ、合意が得られると思います。意見を言わないと、何をされても文句は言えないし、たとえ、「それがおかしいのではないか」と思っても、やらされることになります。

そして、異なる意見を許容できない、感情の好悪を判断の基準とする、ということがまかり通る組織は、ファシズム下の組織と変わりません。日本軍やナチスと一緒です。しかし、組織とは、程度の差はあれ、そのような性格をユニヴァーサルに持ってしまうのです。

悪い結果が出て、「わたしはそういうつもりではなかった」という言葉を組織の構成員が語ることは、これまでも繰り返され、また、これからも嫌になるほど聞かされていくことでしょう。

「懸念・心配していますし、私はそういうつもりではありません」を言う人間が一番性質(たち)の悪い人間で、実はワルなのでしょう。自分のしたこと、していることの責任を回避し、ある人々に押し付け、自分は悪くないと思っていることでしょうからね。客観的に見たら、その人間も加担しているのに。

普通にしている人間、大衆が一番性質が悪いことになるのではないかと思います。社会に目を向けて、日本が暮らしやすいという実感が持てないのは、大衆が無関心だからであって、社会と組織は相似形として考えられると思います。

わぁ、中学生が書くような文章。けど、人間は成長なんかしていないように思う。今から思えば、小学生の時の文章が一番うまかったというか、面白かったと、自分の体験では思います。
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by Hfurumura | 2009-03-21 01:37 | 個人的なこと