翻訳、評論の分野で活動するSNSI研究員の古村治彦のブログ
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スティーヴ・クレモンスのチャルマーズ・ジョンソン博士追悼文をご紹介します。

2010年11月20日、日本政治研究の泰斗、チャルマーズ・ジョンソン博士が79歳で亡くなりました。ジョンソン教授については、これまでも、当ブログ、ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」でご紹介してきました。ジョンソン博士について書かれた様々な文章の中で、出色なのが今回ご紹介する、スティーヴ・クレモンス氏の文章です。これを読めば、ジョンソン教授の業績や残した衝撃が良く分かります。ジョンソン教授の逝去に伴い、いくつか文章が発表されましたが、どれもクレモンス氏の文章を超えるものはありませんし、中には彼の文章の物まねであるものがあります。

それでは拙訳をお読みください。

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植草一秀先生の最新刊『日本の独立』刊行を記念して講演会が開催されます。参加申し込みは、
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飛鳥新社のウェブサイトへは、こちらからどうぞ。

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チャルマーズ・ジョンソンが現在と未来に残した影響と衝撃(The Impact Today and Tomorrow of Chalmers Johnson)

スティーヴ・クレモンス(Steve Clemons)筆
2010年11月21日
ザ・ワシントン・ノート(The Washington Note):クレモンスのブログ

来週、「フォーリン・ポリシー」誌(Foreign Policy magazine)上に、編集長であるスーザン・グレイサーが選んだ、「外交政策における、世界で最も偉大な思想家と実践家たち」のリストが発表される。この試みは年に1回行われるもので、今年で2回目となる。私はリストを見た。選ばれた人々のリストは、創造的で、様々な角度から多様な人々が選ばれていることが良く分かる。

フォーリン・ポリシー誌が選ぶ100人に名前があるべきなのに、掲載されていない人が一人いる。それはチャルマーズ・ジョンソン(Chalmers Johnson)だ。私は、チャルマーズ・ジョンソンはヘンリー・キッシンジャーに比肩する人物であると思う。ジョンソンは、現在のアメリカの外交政策の範囲や目標を定めることができる、アメリカにとって最重要の知識人だった。

チャルマーズ・ジョンソンは、2010年11月20日に79歳で亡くなった。ジョンソンは、「発展志向型国家(developmental state)」の概念を生み出した。この概念を初めて聞いた読者の方々のために簡単に説明をする。ジョンソンが生み出した「発展志向型国家」という概念によって、いかにして国家が経済成長の速度を速めるためにその国の現状に沿った形で政策を実行していくのかという大きな動きを理解することができるようになった。シカゴ大学を中心にして、当時の学界にはネオリベラル派の学者たちが多くひしめき合う中、チャルマーズ・ジョンソンは、政治経済学の分野で、変節者で異端者となった。ジョンソンは、弟子たちと一緒に、これまで常識とされてきた定説に挑んだ。代表的なジョンソンの弟子と言えば、E・B・キーン、デイヴィッド・アラセ、マリー・アンコードギ―、マーク、ティルトンが挙げられる。彼らは海外、特にアジア諸国で実施されている、国家主導の産業政策、通商政策、金融政策についての重要な研究を次々と発表した。

今日、「国家資本主義(State Capitalism)」という概念は、世界経済の最新の、そして最重要の特徴を議論する上で、当たり前に使われている。チャルマーズ・ジョンソンは、政治経済学において、発展志向型国家の概念を生み出すことで私たちに国家の重要性を認識させ、アメリカ以外の国々が自由主義的な、いわゆるアメリカ・モデルに収束せず、模倣をしない理由を学問的に解き明かしたのだ。

ジョンソンは日本の政治経済研究の成果である『通産省と日本の奇跡』を発表した。ジョンソンについて、「ニューズウィーク」誌のロバート・ネフは、日本研究の「修正主義者(リビジョニスト、revisionists)たちの親玉」と決めつけた。ネフは、クライド・プレストウィッツ(Clyde Prestowitz)、ジェームズ・ファローズ(James Fallows)、カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel van Wolferen)、R・タガート・マーフィー(R. Taggart Murphy)、パット・チョート
( Pat Choate)たちを日本異質論を広める新しい動きのリーダーたちだと決めつけた。日本異質論とは、日本の政治経済は、アメリカとは違う様式で組織されているという主張のことだ。リビジョニストというレッテル貼りは大きな反応を引き起こした。ジョンソンをはじめとするリビジョニストと呼ばれた人々は、アメリカの学界から袋叩きにあった。また、アメリカのジャパン・ハンドラーズ(Japan-hands)は、日本の経済官僚は環太平洋にある世界経済をけん引する国、日本の国家安全保障をも担うエリートである、経済力によって国家の安全を図るエリートであるという事実に焦点を合わせるよりも、ジョンソンたちの主張を捻じ曲げることに躍起となっていた。そして、アメリカのジャパン・ハンドラーズたちはリビジョニストたちを攻撃したのである。

1980年代、ジョンソンは、日本が採用している、国家が主導する資本主義は、日本の経済力と富を向上させるだけでなく、日本の「力」自体を増大させていると主張した。キッシンジャーや地政学を基にした戦略家たちは、国際通貨と核弾頭の数と破壊力でしか国力を考えなかった。リビジョニストと呼ばれる人々は、国力と国益の経済的な要素が一国の世界的な地位を考える上で重要であると主張した。そして、実際に国益や国力を考える際に経済的な要素が取り入れられるようになった。

中国はグーグルのような勢いのある国であり、アメリカはジェネラル・モータースのような国である。アメリカは、ブランドイメージが良く、巨大な国ではあるが、実力はお続けている、そんな国になっている。中国の台頭を理解するためには、ジョンソンの発展志向型国家の概念に戻らねばならない。

ジョンソンが残した業績を詳しく調べ、1960年代、70年代彼が行ったことを見ていくと、ジョンソンは、その当時、国家安全保障に関して強硬な立場を取るタカ派(hard-right national security hawk)であったことは分かる。ジョンソンは中国の共産主義革命を分析した。そして、中国の共産主義革命の原動力が階級闘争や共産主義のアピールではなく、燎原の火のごとく農民たちの間に広がっていったナショナリズムであったことをジョンソンは示した。ジョンソンは中国と同じダイナミズムがベトナムで起こっていることを誰よりも早く気付いていた。彼の研究は『農民のナショナリズムと共産主義の力』としてまとめられた。この研究によって、カリフォルニア大学バークレー校に在籍する一介の大学院生だったジョンソンは、アメリカ国内のアジア研究専門家たちの仲間入りをすることができた。

ジョンソンは、友人であっても敵であっても、学問的な誤りを犯していれば、簡潔で、相手をやりこめる攻撃をする能力に長けていた。だから、彼は、そうした姿勢や能力のために常に論争の中にあった。ジョンソンは、ロバート・スカラピーノ(Robert Scalapino)がリードしていたカリフォルニア大学バークレー校のアジア研究プログラムに対して不満を持っていた。ジョンソンはスカラピーノを日本研究者のグループである「菊クラブ(Chrysanthemum Club)」の指導的な立場にいる人物だと考えていた。「菊クラブ」に属する研究者たちは、日本を賞賛していたが、彼らは日本を過大評価したり、日本の国家主導の資本主義の持つ様々な特徴に目を向けない人々だった。ジョンソンは大学院生たちに対して選択を迫った。その選択とは、次の2つの選択肢から1つを選ぶことであった。
①日米間の関係を力の強い兄と兄に従うべき弟と見立て、そうした日米関係を保つために、事実を語るのではなく、様々なことを弁護して回る、汚れた研究者となるか、②研究者として、経験から得られる事実として、日米が共通の経済的利益を得ることができないということを認める立場を取るか。

ジョンソンはスカラピーノに対して激しい批判を行ったが、ロバート・スカラピーノは、自分の立場を変えることを拒否した。ジョンソンは、カリフォルニア大学バークレー校の中国研究プログラム長の立場を捨て、大学を去った。そして、カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・太平洋地域研究学部へと移り、そこでスター教授となった。学部が国際的な評価を得たのは、ジョンソンが移籍したからであることは疑いないところだ。

しかし、潔癖で、政策、理論、実行に情熱的なジョンソンは、これまでと同じように、カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・太平洋地域研究学部を運営する官僚たちと衝突することになった。学部の主流となっていったのは、「合理的選択論(rational choice theory)」を信奉する人々であった。合理的選択論は政治学をはじめとする社会科学に拡大していった。社会科学は、いわゆるソフトな科学と呼ばれていたが、人間の行動に関して、ハードな科学である計量経済学で使われていたモデルを吸収し、適用しようとしていた。

ジョンソンと愛弟子の一人である、E・B・キーンは、共同して合理的選択論に対して厳しい批判を展開した。合理的選択論が現代における最大のイデオロギー的な幻想の一つであることを彼らの批判が明確にし、合理的選択論についての賛成、反対の議論が今でも続いている。私もまた合理的選択論に関する論争に参加した。私は合理的選択論の持つ限界について書いた。私は、合理的選択論が幅を利かせるようになり、大学のカリキュラムから、外国語の授業、文化に関する授業、そして、政治学で言えば、政治システムを理解するために重要な、機構・構造分析アプローチの授業が減らされていると主張した。

私はジョンソンの家を訪ねたことがあった。彼の傍らには、彼の長年にわたる相談相手、知的活動のパートナー、そして妻であるシーラ・ジョンソン(Sheila Johnson)がいた。ジョンソンは私に次のような話をしてくれた。「カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・太平洋地域研究学部では、もはや国際関係も、太平洋諸国の関係についても教えなくなってしまった。学生たちが一年目に習うことは、経済学や統計学で開発されたスキルだよ。外国語、歴史、文化、政治システムよりも計量経済学の公式を重視する傾向が学問の世界で強まっているが、こうした傾向は、膨張し続けるアメリカの文化帝国主義(America's growing cultural imperialism)の表れだと思う」と。

私がジョンソンから話を聞いた夜、チャルマーズ・ジョンソン、シーラ・ジョンソン、そして私は、日本政策研究所(Japan Policy Research Institute)を設立することに決めた。ジョンソンは所長になり、私はディレクターになった。私たちは日本政策研究所の仕事を12年以上にわたって共同で行った。1日おきというわけにはいかなかったが、私は、毎週、ジョンソンと話をした。私たちは、日本について、日米関係について、アジア全体について話をし、先進的な考えをまとめ、出版しようとしていた。私たちは研究所の理事となり、有名な学術誌では掲載してもらえないような、リスクのある内容の、アジアについての研究成果を出版した。そして、現在、太平洋地域における経済、政治、そして軍事に関する評論や研究において、日本政策研究所は重要な役割を果たすようになった。現在、研究所長をしているのはチホ・サワダで、研究所自体は、サンフランシスコ大学を拠点にしている。

ジョンソンは、日本政策研究所を根拠地としてアメリカの諸政策について大きな貢献を行った。ジョンソンは世界各国の政治経済に精通し、冷戦( Cold War)を戦う米ソ両超大国の軍備についての知識も豊富であった。それらを使い、ジョンソンはアメリカがソビエト連邦と同じように、世界各国、特に日本とドイツを、従属国として思うように利用することができるような体制を作っていると喝破した。これは他の誰もできなかったことだ。アメリカもソ連も敵対していたが、お互いは良く似ていた。両国とも帝国であった。ソ連が崩壊したとき、ジョンソンは私に次のように語った。「アメリカは崩壊しない。今のところはね」と。

1995年9月、沖縄で12歳の少女が3人のアメリカ兵に暴行される事件が起きた。その直後、アメリカ軍の司令官は暴行した兵士たちは売春婦でも買えば良かったのだと発言した。沖縄での悲しい事件と司令官の傲慢な発言を聞き、ジョンソンはアメリカの外交政策とアメリカ帝国に対する強力な批判者となった。ジョンソンはベトナム戦争を支持し、カリフォルニア大学バークレー校の反戦運動と対決した人物であった。そんな彼が批判者となった。

ジョンソンは次のように主張した。「アメリカが世界中に数多くの基地を展開し、日本のような外国を占領し続けることを正当化する論理はもはや存在しない」と。ジョンソンは、沖縄だけで39以上の米軍基地、関連施設が存在すると指摘している。アイゼンハワーが警告した、アメリカの軍産複合体(military industrial complex)は、ジョンソンにとって無視をすることができない存在となり、冷戦終結後、ジョンソンが書いた数多くの文章に登場している。

ジョンソンはアメリカの外交政策とアメリカ帝国を批判する4冊の強烈な内容の本を上梓した。これらの本は、ニューヨークやワシントンといった権力の中枢に近い場所で書かれたのではない。ジョンソンは、カリフォルニアの海に近い、カーディフ(サンディエゴ近郊の小さな町)の小さな自宅兼事務所で本を執筆した。ジョンソンは、アメリカの外交政策に関して、最も成功を収めた年代史家、評論家となった。

2001年9月11日の同時多発テロ事件が発生する前、ジョンソンは、『ブローバック』を上梓した。2001年のニューヨークとワシントンに対するテロ攻撃の後、ブローバックは話題をさらった。出版社は注文に対応しきれず、入手困難な本になった。国家安全保障分野で、人々が最も読みたい本になった。

それから、ジョンソンは、『帝国の悲しみ』、『ネメシス』、最新刊『帝国の瓦解』を次々と世に送り出した。ジョンソンは、CIAのアレン・ダレスの顧問だったこともある人物だ。それがアメリカ政府に対する強力な批判者となった。ジョンソンは、国家の安全保障についてゴリゴリの保守派であったが、今や政治的に左翼の重要人物の一人に数えられるようになった。、

ジョンソンは、自分自身をノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)やゴア・ヴィダル(Gore Vidal)に対比させていたようだ。しかし、私は、ジョンソンは、彼らよりももっと真剣で、経験を大事にし、政治的考えや思想の細かい点までよく知っていたと考えている。彼は様々な政治思想や考え方を遍歴したのだ。

私は南カリフォルニア・日本・アメリカ協会に勤務した。当時、チャルマーズ・ジョンソンは理事会のメンバーだった。ジョンソン、私、奥様のシーラ、そして世界で最も有能な編集者であるトム・エンジェルハートで、日本政策研究所を創設した。私がニクソン・センターの立ち上げ責任者となった時、ジョンソンは顧問の一人になってくれた。私たちは長年にわたり、建設的な関係を築いてきた。ジョンソンは私のキャリアアップと思考の深化の手助けをしてくれた。ここ数年は、関係が緊密ではなくなっていた。それは、ジョンソンのように、ワシントンを捨てる準備が私にできなかったからだ。

ジョンソンを支持する人々の多く、そしてジョンソン自身が、「アメリカは民主政治体制ではなくなってしまった、アメリカは帝国となってしまったために共和国ではなくなってしまった」と考えた。そして、アメリカ国民はそれに全く気づていないとも考えていた。ジョンソンの考えは正しい。しかし、私は、ブログ、動画サイトなどの新しいメディア、ワシントンに拠点を置くシンクタンクであるニュー・アメリカ・ファウンデーションを使って、アメリカ政府が現在行っている外交政策を何とか変更させたいと考えている。チャルマーズ・ジョンソンは私がやっていることに反対するだろうと思う。しかし、最後には理解してくれると思う。私は、ジョンソンが持っていた「アメリカは世界で何と酷いことをしているのか」という怒りを共有している。

チャルマーズ・ジョンソンとシーラ・ジョンソンは、ジョン・ボルトンの国連大使就任に対する上院の承認について反対する活動を展開していたことを知っている。ジョンソンのアメリカが帝国化するのを阻止したいという大きな希望から見れば、ボルトンは小物で、攻撃目標にするには物足りないと考えたようだ。ジョンソンの考えは正しかった、と今の私は思う。

「チャルマーズ・ジョンソンが死んだ」。いまだに信じられない。ウソだと思いたい。私には彼との楽しい思い出もあるが、同時に激しい政治的議論をしたり、日本政策研究所の研究成果の発表の締め切りをめぐり怒鳴り合いの喧嘩をしたこともある。私は、ジョンソンのように激しく率直な物言いをする、強力な力を失ってアメリカ政府や学界に挑むことを想像できないし、したくない。

数世紀も前なら「魔法使いだ」と呼ばれるような業績を残す学者や研究者はほとんどいない。社会や人間に関する法則を発見した人は多くの追従者と敵対者を生み出すことになる。

魔法使いは決して死なない。私はこの文章を読んでいる人々や彼の名前だけは知っている人たちが、ジョンソンの残した著作を読んで欲しいと願う。ジョンソンの著作を読んで、怒る人がいるだろう。多くの示唆を得る人がいるだろう。ショックを受ける人がいるだろう。非難や批判をする人がいるだろう。賞賛をする人もいるだろう。

チャルマーズ・ジョンソン、シーラ・ジョンソン夫妻については楽しい思い出ばかりだ。そのうちの一つは、二人が飼っていたロシアンブルーの猫の名前だ。猫にはそれぞれ、MITI(通産省)とMOF(大蔵省)と名付けられていた。名前の由来は、日本の政治経済をけん引した2つの省の名前だ。

チャルマーズ・ジョンソンは、外交誌である「フォーリン・アフェアーズ」誌を激しく非難していた。彼は、フォーリン・アフェアーズ誌がつまらない内容の、因習にこだわった、新味に欠ける雑誌に成り果てたと考えた。ジョンソンはフォーリン・アフェアーズ誌とそれを発行する組織である外交評議会(Council on Foreign Relations)にうんざりしていた。そこで、ジョンソンは、外交評議会に電話をし、応対した若い女性に退会を申し出たのである。

その女性は「ジョンソン教授、大変申し訳ございません。外交評議会の会員資格は終身のものですので、どなたも中途退会はできないことになっております。会員の方がお亡くなりになった時に、会員名簿から除外されることになっています」と答えた。

チャルマーズ・ジョンソンは間髪いれずに次のように言った。「私は死んだものと思ってください(Consider me dead)」と。

私はジョンソンが死んだとは信じられないし、信じたくない。ジョンソンは現代の知の巨人(intellectual giant)であった。これから何百年経っても、この時代の知の巨人と言えばチャルマーズ・ジョンソンだ、ということになるだろう。ジョンソンの業績はアメリカとは何で、アメリカはどうあるべきだということを示している。彼の業績の素晴らしさはヘンリー・キッシンジャーの業績を凌駕している。

私は、シーラ夫人と家族同様の存在であった全ての方々に対し、衷心からお悔やみを申し上げる。特にジョンソンの弟子や同僚たちにもお悔やみを申し上げたい。彼らは、ジョンソン王朝とも言うべき学統に連なる人々である。そして、サンディエゴ在住のジョンソン夫妻を手助けしてくれたご近所や友人の方々にもお悔やみを申し上げる。

(終わり)
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by Hfurumura | 2010-11-24 01:51

プレストウィッツのグローバライゼーション論

ブログの更新が滞り、誠に申し訳ありません。現在、ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」(こちらからどうぞ。)にて文章を掲載しております。今回は、フォーリン・ポリシー誌に掲載されている、クライド・プレストウィッツの文章を皆様にご紹介いたします。プレストウィッツは、著書『日米逆転』があり、日本異質論を唱えたリビジョニスト四天王の1人です。

プレストウィッツは、今回ご紹介する文章の中で、先週行われたG20に絡めながら、「アメリカ主導の、アメリカ化を推進するグローバライゼーションは間違っていた」という主張を展開しています。経済学で唱えられる主張が間違っていて、それらを前提にしているアメリカ主導のグローバライゼーションは間違っているとプレストウィッツは主張しています。そして、ワシントン・コンセンサス(「小さな政府」「規制緩和」「市場原理」「民営化」を世界中に広く輸出し、米国主導の資本主義を押し広げようとする動き)を基にしたグローバライゼーションではなく、北京・ベルリン・コンセンサスという、中国とヨーロッパが協調して推進されるグローバライゼーションが台頭してきていると主張しています。

北京・ベルリン・コンセンサスについて説明が不足していて分かりにくいのですが、「アメリカ主導の世界は終わりつつある」ということを述べていると思います。

それでは拙訳をお読みください。

==========

●「グローバライゼ―ションはどうして機能しないのか(Why globalization isn't working)」

クライド・プレストウィッツ(Clyde Prestowitz)
2010年11月15日
フォーリン・ポリシー誌(Foreign Policy)・ゲストブログ欄

コロンブスがやはり正しかったということが明白になった。世界はフラットではないのだ。先週、オバマ大統領は韓国のソウルで開催されたG20に参加したが、G20がオバマに教えたことは、「世界はフラットではない」ということだ。

G20は会議の最後にコミュニケを発表した。その内容は残念ながら私が予想した通りのものだった。コミュニケには、永続的な調和、合意、成功などの抽象的な文言がちりばめられていた。これまでのG20のコミュニケの中身から見ても、今回のコミュニケの内容は漠然としたものになってしまった。今回のコミュニケが示しているものは、G20内にある混乱と亀裂、会議自体の失敗、そして、現在のグローバライゼーションの形態の究極的な失敗である。

著名な経済学者、専門家、大企業のCEOたち、政治家たちは、クリントン元大統領の主張に同調していた。クリントンの主張とは、「グローバライゼーションの進行によって全ての国を豊かになる。国が豊かになればその国は民主政治体制になり、民主的になることでそうした国は平和を愛するようになる。結果、世界は理想郷(Nirvana)になる」というものだった。クリントンの主張の本質は、「グローバライゼーションによって世界中の国々はアメリカのようになる。グローバライゼーションとはアメリカナイゼーション(Americanization)ことなのだ」ということに尽きる。

しかし、先週ソウルで開催されたG20ではそんな話は全く出なかった。時代遅れのワシントン・コンセンサス(Washington Consensus)が語られる代わりに、北京・ベルリン・コンセンサス(Beijing-Berlin Consensus)について多く語られた。G20において、世界経済が抱える貿易収支と経常収支の巨大な不均衡を是正する必要があるという結論は出された。しかしそれはリップサービスに過ぎない。オバマ大統領は席上、ドイツは内需拡大について真剣に考慮すべきだと発言した。オバマの発言に対して、他の出席者たちからは、「ドイツの内需拡大策は現在行われていないので不可能なことだ」という、オバマを諌めるような反対意見が出された。中国の代表は次のように発言した。「現在のグローバライゼーションについては以下の条件がある限り支持する。条件とは、アメリカが消費をし続けながらも経済刺激策を行わない。また、世界の消費をけん引すると同時に世界の安全保障の担うことである」

北京・ベルリン・コンセンサスはアメリカの景気回復のために機能することはないし、バラク・オバマの大統領再選にも資することはない。

アメリカナイゼーションとしてのグローバライゼーションとフラット化する世界という考え方はどこで間違った方向に進んでしまったのか?

その前提が間違っていたのだ。馬鹿げていたのだ。有名無名問わず経済学者たちは「企業は経済的に競争しているが、国はそうではない」と主張してきた。この主張を皆さんはどれほど聞いただろうか?中国人、ドイツ人、日本人、韓国人、台湾人、フランス人、シンガポール人、スウェーデン人にも聞いてみたい。この主張は間違っていることは明らかだ。

「資本、技術、人間は国境を越えることはない」と「完全雇用が常に達成される」というアメリカの自由貿易理論の2つの前提について考えてみよう。これらが間違っていることは明白だ。それでは、「全ての市場は完全な競争が保証されており、多くの競争者たちがいるため、1人の競争者が製品の生産量や価格の決定について影響力を及ぼすことはない」という前提はどうだろうか。これも間違っている。「自動車、鉄鋼、半導体、航空機のような産業は、影響力のある競争者がいる市場が存在したら、成り立たなかっただろうし、貿易もできなかったであろう」という前提はどうだろうか?これも間違っている。

私は経済学で唱えられいる主張がいかに非現実的かを示した。しかし、アメリカの国際経済政策は、長年、そうした非現実的な主張を基にして決められてきた。オバマ大統領が雇用を創出し、アメリカが国際経済のリーダーの地位を再び獲得し、自分自身が大統領に再選されたいと望むならば、これまで当然だと考えられてきた諸前提が本当に正しいのかどうか考え、グローバライゼーションには現在の形態と異なる形態のものがあるということを受け入れなければならない。北京・ベルリン・コンセンサスを基にしたグローバライゼーションは、アメリカナイゼーションではないということだけではなく、反アメリカナイゼーションであるという点を抑えておかねばならない。

クライド・プレストウィッツ(Clyde Prestowitz):経済戦略研究所(Economic Strategy Institute)所長。著書『アメリカの繁栄の行き着く先』がある。
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by Hfurumura | 2010-11-16 15:39

舞台装置としてのティーパーティー運動

2010年11月3日にアメリカでは、中間選挙が行われました。中間選挙は4年ごとに行われる大統領選挙の中間の年に行われる、米上下両院の議員選挙です。上院は2年ごとに3分の1の議席、下院は全議席が改選されます。今回、上院は37議席、下院は435議席が改選されました。今回の中間選挙では、オバマ政権下で米国の経済状態が好転せず、オバマ大統領に対する不満が結果に表れ、与党・民主党が大敗するという予想が早くから出されていました。中間選挙という言葉を聞くと、中学、高校時代の中間試験という言葉を思い出しますが、時の政権にとって中間選挙は、まさに中間試験です。ちなみに、中間選挙は英語で、「ミッドターム・エレクション(Mid-term Election)」と言います。中間試験のことは、「ミッドターム・イグザム(Mid-term Exam)」と言います。ターム(term)という単語には、任期、学期などの意味があります。

また、今回の選挙では、「自然発生的な」、「草の根の」大衆運動であるティーパーティー運動(Tea Party Movement)の影響にも注目が集まりました。ティーパーティーという言葉は、アメリカ独立の引き金となった事件である、「ボストン茶会事件(Boston Tea Party)」からきています。ボストン茶会事件は高校の世界史の授業でも習いますが、宗主国であるイギリスが植民地であるアメリカに対する課税を強化する政策を行ったことに講義するために、植民地の人々がインディアンの格好をしてイギリス商船に乗り込み、お茶を海に投げ捨てた事件です。「代表無くして課税無し(No representative, No tax)」という言葉は有名です。ここからアメリカ独立運動が盛んになり、植民地の人々の中に「自分たちはイギリス人ではなくアメリカ人だ」という意識が高まっていきました。今回のティーパーティー運動のティー(Tea)には、「税金はもうたくさんだ、うんざりするほど払ってきた(Tax Enough Already)」という意味も込められているそうです。

ティーパーティー運動は、既存のワシントン政治に反対する運動として始まりました。そして、オバマ政権に対して景気回復、雇用創出を期待していた人々の失望感を原動力としてアメリカ国内で拡大していきました。ニューヨーク・タイムズ紙のまとめ記事によると、ティーパーティー運動を支持していると答えた人たちの大半は白人男性、45歳、教育程度の高い人たちだということです。彼らは、自分たち中流の人間よりも貧しい人たちを助ける政策ばかりを実行していると考え、オバマ政権に否定的な態度を取っています。ティーパーティー運動の高まりを受けて、現職、新人さまざまな政治家たちがその支持を得ようと、もしくは支持をバックに選挙に打って出ようとしてきました。ティーパーティー運動が支援した政治家では、フロリダ州のマルコ・ルビオ(Marco Rubio)氏と、ケンタッキー州のランド・ポール(Rand Paul)氏が新たに上院に当選しました。全体では上院に5名、下院に40名を送り込むことになりました。しかし、共和党の勝利が確実と言われた州での取りこぼしもあり、完勝というところまではいきませんでした。デラウェア州の上院議員選挙では、クリスティン・オドネル(Christine O'Donnell)氏は失速しました。ジョー・バイデン(Joe Baiden)副大統領の地元でここで勝つことは共和党にとって象徴的な意味がありましたが、うまくいきませんでした。

ティーパーティー運動で目立ったのが、サラ・ペイリン( Sarah Palin)氏です。ペイリン氏は前回の大統領選挙で共和党の副大統領候補として知名度を上げ、今や、2012年の大統領選挙の共和党内最有力候補です。ペイリンはティーパーティー運動と共和党を統合するシンボルのような存在になっています。ペイリンは、アラスカ州知事を務め、またアメリカの伝統保守派の価値を主導する政治家であり、民主党との違いをアピールできる人物です。前回の、ジョン・マケイン(John McCain)氏は共和党内のリベラルであり、民主党との違いがあまり鮮明に打ち出せませんでした。しかし、ペイリン氏は、このまま超保守派と共和党とをまとめて、大統領選挙の共和党候補になるのは確実かと考えられます。

ティーパーティー運動は本部があって統制をしているようなものではなく、全国レベルから地方の小さなものまで様々な組織・団体が存在しています。そのため、統一的なイデオロギーがある訳でもなく、現在のオバマ政権に対する「怒り」が運動の原動力のようです。ですが、全国組織としてバスツアーをしたり、多くの人々を動員して集会を開いたり、といった活動にはお金がかかります。草の根の大衆運動で、一般の人々の寄付が多いとはいえ、そえだけでここまで目立つ、派手で大規模な活動はできません。ティーパーティー運動に多額の資金を提供している組織、団体、企業があると思いますが、それははっきりしていません。オバマ政権の医療保険制度改革法や軍縮傾向に反対するということで、アメリカの巨大保険会社や軍事産業からの資金が流れていることは推測されます。

私は、ティーパーティー運動は2009年に始まったばかりの運動であるが、すでに変質し、元々相容れない勢力に乗っ取られてしまったと考えます。ニューヨーク・タイムズ紙のまとめ記事に書いてある通り、ティーパーティー運動は、元々、民主党オバマ政権による景気刺激策に反対し、均衡財政主義(fiscal conservativism)を主張し、連邦政府の権限を縮小することを求める運動でした。また、「税金はもうたくさんだ、うんざりするほど払ってきた」という考え通り、増税反対、連邦政府の無駄根絶をも求めていました。これらの主張は、テキサス州選出のロン・ポール(Ron Paul)下院議員が体現している、リバータリアニズム(Libertarianism)という思想に基づいたものです。リバータリアニズムは、簡単に言うと、福祉、連邦政府の役割拡大、税金に反対するという思想で
す。

しかし、ティーパーティーと称する団体の中には、宗教右派(Religious Right)と呼ばれるキリスト教過激派の支援を受け、彼らの過激な教義を主張している団体もあるそうです。また、人種差別的な主張を展開している場合もあります。このように最初の反税金、ニューヨークの金融界ばかり助けやがってという運動から、どんどん変質していっています。これは恐らく、金融救済策から国民の目を逸らそうという目的があるのではないかと思います。ティーパーティー運動の目的をただの過激な保守運動にしてしまうこと、そして、人々に「ティーパーティー運動は危険だな」と思わせること、こうしたことを目的とし、それに成功した勢力があると私は思います。運動を始めた一人であるロン・ポールは無視されています。彼こそがティーパーティー運動から共和党の大統領選挙候補にならねばならないのにそうなっていません。このことからティーパーティー運動は変質し、汚されていると私は考えます。

もっと言うと、ティーパーティー運動は2012年の大統領選挙の舞台装置として利用され、やがて衰退すると考えます。ティーバーティー運動を代表する、サラ・ペイリンと民主党リベラル、管理統制、包括的な政策決定を進めるコーポラティズムを代表するヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)という対立の構図で2012年の大統領選挙が進むと思います。これは副島隆彦先生が以前から述べておられることです。ティーパーティー運動の躍進をマスコミは喧伝しながら、やがて、その危険性をクローズアップし、ヒラリー・クリントンが勝つように仕向ける。そのための舞台装置としてティーパーティー運動は用意され、2012年には破壊されていくと思います。

これまで、「自然発生的な」、「草の根の」大衆運動と言われるものはいくつも誕生しました。しかし、そのどれもが途中で変質し、暴走させられ、消えていきました。今回のティーパーティー運動もそのようになる、と私は考えます。


(新聞記事転載貼り付けはじめ)

●「<米国>茶会運動で共和党けん制 小さな政府の実現目指し」

2010年11月8日付 毎日新聞電子版


 【ワシントン古本陽荘】米中間選挙で共和党躍進の原動力となった保守系の草の根運動「ティーパーティー(茶会運動)」は、選挙後も「小さな政府」の実現を目指し、共和党を強くけん制する姿勢を見せている。もともと共和党指導部に強い不信感を持っていただけに、医療保険制度改革法の廃止など茶会運動の要求を実現する意欲があるのか、共和党を監視していく考えのようだ。

 「共和党は火曜日(2日)の勝利をまだ祝っている。茶会のおかげで勝利したということを彼らに念押しする必要がある」

 4日、各地の茶会運動を支えてきた団体「ティーパーティー・ネーション」が、支持者らに電子メールで一斉送付した「共和党へのメモ」の一節だ。

 またニューヨーク・タイムズ紙は5日、別の茶会団体「フリーダム・ワークス」が、当選した共和党議員に送付する予定の手紙の草稿を報じた。それによると、オバマ政権の医療保険制度改革法を廃止するという共和党の公約について「交渉の余地はない」と強調。「もし11年に廃止しなければ、12年には有権者による反発にさらされることになる」と共和党議員に「警告」した。

 ただ、実際にはすでに成立している医療保険制度改革法を廃止に追い込むのは現実的とは言えず、共和党指導部にとっては、茶会が納得する結果を出すのは容易ではない。

 茶会運動は少なくとも、今回の選挙で上院に新人5人、下院に約40人の議員を送り込んだ。いずれも共和党所属だが党指導部が推す候補者を予備選で破って当選した議員も含まれる。筋金入りの茶会系議員は、共和党指導部と茶会との意見が合わない場合、指導部に反旗をひるがえす可能性が高く、共和党にとっては喜んでばかりもいられないのが実態だ。

 ペンシルベニア州の茶会の地域団体「キッチンテーブル愛国者」のアナ・プイグ共同代表は「これからは当選した議員にしっかり圧力をかけていく。市民によるロビー活動の始まりだ」と意気込む。


●「【米中間選挙】ティーパーティーは諸刃の剣? 共和党躍進の原動力も重点地区で敗退 」

2010年11月4日付 MSN産経ニュース

 米中間選挙で、オバマ政権の経済政策に反発するティーパーティー(茶会)の支持を受けた多くの共和党候補が当選を果たした。米メディアの調査では実際に投票した有権者の4割が茶会に賛同、共和党の躍進を支えたことが数字からも裏付けられたが、ネバダ州など共和党が重点選挙区としたところでは相次いで敗退した。極端な主張で無党派層が離反、“もろ刃の剣”となったのではとの指摘も出ている。

 米メディアの3日までの集計を総合すると、中間選挙で茶会が支援を表明した候補者のうち、上院で5人、下院で20~25人が当選した。

 全米で実施された出口調査によると、有権者の8割が経済問題を選挙戦の最大争点ととらえ、約4割が財政支出の削減などを訴える茶会への支持を表明した。

 茶会の影響力について次期下院議長への就任が有力視されている共和党のベイナー下院院内総務も、「(茶会を支持した有権者は)支出削減と雇用創出を求めている」と分析し、茶会の主張を共和党として吸収することは可能との認識を示した。

 一方、上院選の茶会系共和党候補はネバダ、デラウェア、コロラド、カリフォルニアの4州で敗退。この4議席を確保していれば、定数100の上院で共和党は半数に達することができていた。

 特に民主党のリード上院院内総務の地盤であるネバダ州とバイデン副大統領の就任で空席となったデラウェア州は、共和党の議席獲得が有力視された選挙区だった。

 しかし、選挙戦が進む中で茶会系の候補者の主張に違和感を覚える無党派層が距離を置く現象もみられていた。

 リード院内総務の陣営幹部も「移民問題などで極端な主張を掲げる茶会の候補者が出てきたことで、ごく一般的な有権者が民主支持に傾いたのは間違いない。共和党の穏健派が出ていれば、結果は違っていたかもしれない」と勝因を解説する。

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は、茶会が議会での勢力を確実なものにするためには「選挙で示した(反体制の)エネルギーを政策に結びつける課題に直面している」と分析、無党派層にも受け入れやすい政策への軌道修正が必要との認識を示した。


●「「反オバマ」初の全米集会 保守派ティーパーティー」

2010年2月7日付 MSN産経ニュース

 米政府の歳出削減や減税などを訴え、反オバマ(大統領)色を強める保守派運動「ティーパーティー」の初の全米集会が6日、テネシー州ナッシュビルで開かれた。集会ではペイリン前共和党副大統領候補(前アラスカ州知事)が基調演説し、同運動を英国からの独立に次ぐ「もう一つの革命」と呼んだ。

 民主党の政策は「大きな政府の下で(国民生活を)不安定にさせ(国家財政の)負債が増える」と批判。オバマ氏の外交政策も敵との対話が多すぎ「強い姿勢が必要」と述べた。

 集会が開かれたホテルの会場の参加者はほとんどが白人。ティーパーティーの主張は米社会が抱える人種や貧富の間の分裂を象徴している。昨年4月以降、本格的に各地で集会を開いてきたティーパーティーは、独立運動につながった1773年の「ボストン茶会事件」にちなみ名付けられた。(共同)


●「Tea Party Movement」

Updated: Nov. 5, 2010 New York Times
http://topics.nytimes.com/top/reference/timestopics/subjects/t/tea_party_movement/index.html?scp=1-spot&sq=tea%20party%20movement&st=cse


(新聞記事転載貼り付け終わり)
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by Hfurumura | 2010-11-08 22:57