翻訳、評論の分野で活動するSNSI研究員の古村治彦のブログ
by Hfurumura
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マドフ事件に関連し、ソンジャ・コーンというオーストリアの女性銀行家が訴えられました。

古村治彦です。昨日に続き、今回もバーナード・マドフ事件の進展についてお知らせします。

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※『バーナード・マドフ事件 アメリカ巨大金融詐欺の全容』は成甲書房のウェブサイトからもお求めいただけます。
サイトへは、こちらからどうぞ。

バーナード・マドフがニューヨークを本拠地として詐欺事件を起こしたので、この事件に関しては、やはりニューヨーク・タイムズ紙の報道の量が多いようです。ニューヨーク・タイムズ紙には、ニューヨークにある大リーグ球団、ニューヨーク・メッツのシーズンオフの補強が進んでいないのはマドフ事件が理由になっているという面白い記事が掲載されていました(http://www.nytimes.com/2010/12/06/sports/baseball/06mets.html?scp=4&sq=madoff&st=cse)。

ニューヨーク・メッツのオーナーであるフレッド・ウィルポンの家族は、昔、マドフの家族と隣同士で住んでいて家族ぐるみの付き合いをしていたそうです。子どもたち、先週自殺したマドフの長男マークとウィルポンの息子ジェフは幼馴染です。そして、ウィルポンはマドフに投資をしました。これだけならウィルポンは被害者ですが、ウィルポンの投資は長期間にわたったために、総額で5億2270万ドル(約4200億円)をマドフに投資し、約5億7050万ドル(約4700億円)になっていました。ウィルポンはマドフへの投資で、純利益4780万ドル(約500億円)を上げました。

マドフの事業の清算管財人である、アーヴィング・ピッカードは、マドフに投資ししていた投資家や企業の中で、純粋な被害者以外にはお金の返還を求めていました。マドフの逮捕から2年目の丁度今が訴訟を起こすかどうかの期限でした。そこで、ピッカード氏は大手金融機関やウィルポンのように利益を上げた投資家たちを訴えたのです。この提訴の行方はまだ分かりませんが、ピッカード氏の主張が認められると、ウィルポンは巨額のお金を返還しなくてはいけなくなります。それで、ニューヨーク・メッツは動くに動けないようになっているようです。

マドフの詐欺事件はアメリカだけにとどまらず、世界中に影響を与えました。日本でも多くの大手金融機関がマドフへの投資を組み込んだ金融商品を顧客たちに売り付けたり、自分たちがマドフに対して投資をしたりしていました。そうした中で、下の記事にあるとおり、オーストリアにあるメディチ銀行(歴史上有名な名家であるメディチ家とは一切関係ないが、名前を拝借し、エンブレムも似せている)のオーナーである、ソンジャ・コーンという女性銀行家が、マドフの事業の清算管財人であるピッカード氏に訴えられました。その額は196億ドル(約1兆6000億円)です。

※ニューヨーク・タイムズ紙の記事のアドレスは以下の通りです↓
http://dealbook.nytimes.com/2010/12/10/madoff-trustee-seeks-19-6-billion-from-austrian-banker/?scp=5&sq=madoff&st=cse

『バーナード・マドフ事件』にはこのソンジャ・コーンは出てきません。しかし、これは翻訳の過程で、邦訳書のページ数が膨大なことになるという判断で、削ってしまったからです。翻訳について説明すると、英語から日本語に翻訳すると、ページ数は英語の原著に比べて増加します。それは言葉を加えて分かりやすくしますし、単語の長さや文字数と行数が英語と日本語では大きく異なるためです。これまでたくさんの翻訳が出版されましたが、中身の分量を減らして出版される場合が多いのです。『バーナード・マドフ事件』もそのために少し中身を削りました。しかし、原著は全て訳してあり、その中にソンジャ・コーンについて書いてある部分もありました。そこで、ここに出版され
なかった部分を以下に掲載したいと思います。ソンジャ・コーンについて理解が深まると思います。

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(翻訳書から削った部分を掲載はじめ)

ウィーンでは、ソンジャ・コーン(Sonja Kohn)がマドフの協力者として成功を収めていた。コーンは、ウィーンで小規模な投資銀行であるバンク・メディチ(Bank Medici)を設立した。バンク・メディチは、マドフのネズミ講に、顧客から集めた金三〇億ドル(約二七〇〇億円)以上を流していた。ソンジャ・コーンは、ティエリ・ド・ラ・ビーユウシェットやマイケル王子のように、投資家を勧誘する際に貴族の人脈があるかのように振る舞ったが、実際には、彼女は貴族とのつながりなど持っていなかった。バンク・メディチのロゴは、貴族や王族の紋章(coat of arms)を真似たもので、二頭のライオンが王冠を載せた楯を支えている、というものだ。しかし、このロゴのデザインは新しく作られたものだ。バンク・メディチはイタリアのメディチ家とは何の関係もなかった。メディチという名前には著作権はないので、コーンはそれを使っただけのことだ。従って、バンク・メディチには長い歴史はない。コーンのメディチ・バンクの投資部門であるメディチ・ファイナンス・コンサルティング(Medici Finance Consulting)は一九九四年に設立されたが、銀行業の免許を取得したのは二〇〇三年だった。

コーンは一九四八年、ホロコーストを生き抜いた正統派ユダヤ人の両親の間に生まれた。生まれてすぐ両親と共にウィーン(Vienna)に移り住み、ウィーンで育った。彼女の幼馴染は、彼女は努力家で、成績を上げようという野心に満ちた子供だったが、頭はそれほど良くなかった、と語っている。彼女はアーウィンという男性と結婚し、貿易業を始めた。二人はミラノ(Milan)やスイス(Switzerland)に移りながら、事業を行った。事業を通じて構築した人脈が後々活かされることになる。一九八〇年代、コーンは家族と共にアメリカに移住した。彼らが落ち着いたのは、マンハッタンから三〇マイルほど離れたモンシー(Monsey)という小さな町だった。ここには超正統派(ultra-Orthodox)ユダヤ人たちが多く住み、共同体を形成していた。コーンは、モンシーに住んでいる間に信心深くなっていったようである。子供たちが大きくなり、家を出て行ったあと、コーンは新しいビジネスを始める決心をした。それは投資業であった。コーンは聡明で、努力家で、固い決意を持っていた。ブルームバーグ・ニュースによると、ソンジャ・コーンは株式ブローカーの資格試験のため独学で勉強し、一九八四年に株式ブローカー資格試験に合格した。コーンは一九九〇年頃にマドフに会い、BLMISのためにお金を集めることになった。それからマドフが逮捕されるまで、ソンジャ・コーンは世界中を旅し、チューリッヒ(Zurich)、ウィーン、ミラノ、モスクワ(Moscow)、エルサレム(Jerusalem)などで投資家を募り、投資家との人脈を構築していった。その際に、コーンが英語、ドイツ語、イタリア語、ヘブライ語が話せることが大いに役立った。

コーンの家族は一九九〇年代初めにウィーンに帰った。コーンは、ビジネスパートナーであるマドフ同様、ウィーンの金融界で確固たる地位を築くことで尊敬を勝ち得ようと努力していた。彼女はウォール街とのつながりを最大限利用した。そうすることで、小さくて閉鎖的なオーストリアの金融業界に入り込むことができた。井の中の蛙の状態にあったウィーンの銀行家たちは、コーンのエネルギッシュさに圧倒された。コーンは自分を良く見せる技術を持っており、また、ヘッジファンドやウォール街についてよく話した。こうしたことによって、ウィーンの銀行家たちは催眠術にかけられたようになってしまった。コーンがウィーンに帰った時期も良かった。一九九〇年代前半はオーストリアの諸銀行が規模を拡大していた。共産主義の崩壊によって東欧への門戸が開かれ、そこに投資やビジネ
スのチャンスが広がっていた。多くの外国企業がオーストリアの銀行と提携した。それは、オーストリアの銀行が地域の経済や社会についての専門知識や経験を蓄積していて、また、新らたに民主化された東欧諸国と歴史的につながりを持っていたからだ。このような転換期に、ウォール街とのつながりを持つコーンはウィーンの金融界にとっての希望の星となった。コーンは、ウィーンを国際的に活躍している投資家たちが集まる拠点にし、オーストリアの金融・銀行業界を新しいレベルに導くための若き指導者となった。

ウィーンの狭くて、人間関係が濃密な金融業界において、コーンは、バンク・オーストリア(Bank Austria)のある幹部の庇護を受けていた。バンク・オーストリアはバンク・メディチの株式の二五パーセントを保有していた。バンク・オーストリアの幹部たちの中には、オーストリア最大の銀行であるバンク・オーストリアが、バンク・メディチのような昨日今日出てきたような銀行に深く関わるのは問題だ、という人々もいた。しかし、そんな人々も口を閉ざすようになった、とウィーンの金融業界のある事情通は述べている。彼はまた、「バンク・メディチとの提携に反対していた人々は、どうもこれはすでに決まったことであり、反対するとあなた方の地位は保証できない、と言われたようですよ」と語っている。バンク・メディチは本社をウィーン国立オペラ座(State Opera building)の向かい側のビルに置いた。内装はアンティーク家具やペルシア絨毯で飾られていた。コーンはバンク・メディチの幹部たちを毎朝八時に伝統あるホテルザッハー(Hotel Sacher)に集め、朝食をとりながらミーティングを行った。これはウォール街の習慣をそのまま取り入れたものだった。しかし、ウィーンの金融業界で午前八時から仕事をするというのは前代未聞のことだった。コーンは、お気に入りの社員たちに、ホテルザッハーで売られている、有名なチョコレートケーキ
、ザッハートルテをプレゼントしていた。また、コーンはロンドンを訪れる際には、クラリッジホテル(Claridges hotel)のスイートルームに泊まり、そこで訪問者たちと面会していた。

ウィーンのユダヤ人社会は小さいもので、七〇〇〇人強しかいなかった。コーンはウィーンのユダヤ人社会の中においては大物とまでは言えない存在だった。彼女は、エルサレムにあるヘブリュー大学(Hebrew University)に対する寄付のような慈善事業を行う人々とは全く関係を持たなかった。コーンは夫と共に超正統派のシナゴーグである、小さなシュティビル(shtibl)で礼拝していた。彼らの行くシュティビルは、グルエンアラガッセ(Gruenangargasse)地区にあるバロック建築のアパートの中にあった。このアパートは、シュテファン大聖堂(St Stephen’s Cathedral)があるウィーンの旧市街にある。ウィーンのユダヤ人社会の事情に詳しいある人物は次のように証言している。「コーン夫妻が通っていたシュティビルには中くらいの部屋が二つか三つしかないのです。しかし、そこに来ている信者たちはウィーンでも指折りの資産家ばかりですよ。彼らは信心深いですよ。そこの信者には銀行家や資産家の方々もいますよ。彼らは尊敬に値する人たちです」

国際金融の世界で、ソンジャ・コーンは常に自分を良く見せるように努力していた。ソンジャ・コーンは、有名デザイナーがデザインした宝石を身に着け、赤褐色のシェイテル(sheitl、訳者註:ユダヤ女性が被る帽子)をかぶり、ユダヤ教正統派の女性が被るカツラをつけていた。コーンは絶対にノーとは言わない女性として知られていた。ソンジャ・コーンは人脈を駆使した。彼女は、オーストリア政府の元大臣二人をバンク・メディチの取締役として迎え入れた。バンク・メディチは、オーストリアの経済省と外務省に対してアドヴァイスをしていた。コーンは、ウィーン市内で最大のウィーン美術史美術館(Kunsthistoriches Museum)で開催された二つのイベントを支援していた。彼女はお喋りであったが、そのお喋りが好まれた。一九九九年、コーンはオーストリア政府から勲章を授与された。しかし、彼女の成功を称賛しない人々もいた。金融業界はいまだに男社会であるが、バンク・メディチは女性であるコーンが率いていたし、彼女のはっきりとした物言いと衝突を恐れない態度を取っていたので、ウィーンの金融業界内部には彼女のことを面白く思わない人々もいた。ウィーンは、一九四五年以来、妥協と合意で全てが進められてきた街である。彼女は感情の起伏が激しく、自分の部下を召使のように扱った。ウィーンの金融業界の内情に詳しいある人物は次のように語っている。「コーンはウィーンの金融業界にとって重要な人物でした。しかし、彼女は周りからおだてられ、自分のことを天才だと思うようになってしまったんです。コーンは傲慢で、人に不快感を与えてしまう人でした。そして自分は特別な人間であるかのように振舞っていました。彼女はマドフの神秘的な力を利用していました。彼女の成功は人々の噂話や口コミの力によるところが大きいのです。実際に安定した利益を出しているファンドがあり、彼女がそれにアクセスできるということになれば、彼女が持て囃されるのは当然ですよね」

コーンはウィーン市当局が推進していたキャンペーン「ウィーン:投資の都」の熱心な後援者であった。このキャンペーンは、金融におけるウィーンの地位向上を目指すものであった。それでもコーンはウィーンの金融業界の人々が時代の変化に合わせて、様々なことを学ぶスピートはかなり遅いと不満を漏らしていた。コーンは、二〇〇八年六月にフィナンシャル・タイムズ紙とのインタビューの中で次のように発言している。「外国のことを学ぶのは大変なことですね。そして、そうしたものを学ぶのは一直線ではなく、迂回をしてしまう感じですね。オーストリア政府はヘッジファンドの設立もいまだに認めてくれないのです」しかし、オーストリアには少なくとも「常識を大切にする環境」があった。コーンは次のように語っている。「ある人が有罪であるという証明がなされるまでは、その人は無罪です。しかし、こうした考えがどこでも通用する訳ではないのです」  バンク・メディチを設立以来、ソンジャ・コーンの決断と経営手腕によって、銀行は大きな利益を上げていた。バンク・メディチは二つの投資ファンドを作り、そこからマドフに二一億ドル(約一九〇〇億円)の資金が流れた。バンク・メディチは三つ目の投資ファンドであるシーマ・ファンド(Thema Fund)を設立した。これはマドフに対する三つ目のフィーダーファンドになった。ブルームバーグ・ビジネス・ニュースによると、二〇〇八年一一月の段階で、シーマ・ファンドは一二億ドル(約一一〇〇億円)の資金を保有していた。マドフが逮捕される一月前の二〇〇八年一一月、バンク・メディチの投資ファンドは大きな成功を収め、賞賛を受けた。バンク・メディチは、ドイツ・ヘッジファンド・アワードのシングル・ヘッジファンド・マルチ・カテゴリー部門の最優秀賞を授与されたのである。

マサチューセッツ州検察局のコウマッドに対して訴えを起こした。コウマッドはマドフの投資ファンドのフィーダーファンドであった。BLMISとコウマッドはともに同じリップスティックビルに本社を置いていた。訴状によると、ソンジャ・コーンはBLMISから五二万六〇〇〇ドル(約四八〇〇万円)の報酬を受け取っていた。マサチューセッツ州検察局は、「コーンがコウマッドのために働くための登録をしていなかったが、コウマッドを通じてマドフから報酬が支払われていた。またコーンの名前がコウマッドの財務報告書の中で報酬を支払った相手として掲載されていた」と主張している。アーヴィング・ピッカードの訴えの中でも、ソンジャ・コーンはコウマッドを通じてBLMISから報酬を得ていた、とされている。ピッカードは訴状の中でこのことを「ソンジャ・コーンに関する興味をそそる事実」と書いている。ピッカードの訴状には、二〇〇四年に書かれたコウマッドの内部文書が引用されている。以下に引用する。「以下、注意すること。マドフからの支払いの中には、SKに対しての支払い金が含まれている。その金額は八万七七九二ドルである」また、二〇〇六年に書かれたある書類にもマドフからコウマッドへの支払いの中に、「ソンジャ・コーン」に対する支払い金八万七七九二ドルが含まれている、と書かれていた。 コーンはマドフが詐欺行為や犯罪行為を行っていたことは知らなかったと繰り返し述べている。彼女は次のように発言している。「私はマドフのネズミ講の最大の被害者です。マドフの事件は私の家族、私の会社、私自身にとって悲劇でした。そして私たちは今悲劇の真っただ中にいます」

(掲載終わり)
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by Hfurumura | 2010-12-13 12:55

バーナード・マドフ事件に進展がありました

古村治彦です。このブログを長く更新せず、大変失礼しました。最近、仕事が立て込み、ブログを書くことを疎かにしてしまいました。反省し、これからは定期的にブログを書くように致します。

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今年4月、アダム・レボー著『バーナード・マドフ事件 アメリカ巨大金融詐欺の全容』(副島隆彦監訳、古村治彦訳、成甲書房、2010年)が出版されました。この本では、被害総額650億ドル(約6兆円)という史上最大規模の金融詐欺事件を起こした、バーナード・マドフの人生と事件の内容が描かれています。本では逮捕までのことが、詳細に、かつ大河ドラマのように描かれており、大変読みごたえがある本です。年末年始のお休みに是非お読みいただければ幸いです。

※成甲書房のウェブサイトでもお求めになれます。サイトにはこちらからどうぞ。

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バーナード・マドフ事件について簡単に説明します。マドフはナスダックを創設した人物で、伝説的な投資ファンドのマネージャーでした。彼は常に年10パーセントのリターンを出す人物として、投資家たちの間で有名でした。そして、多くの金持ちたちが彼に資金を預けようと殺到しました。また、マドフに資金を流すためにファンド(これをフィーダーファンドと言います)を経営している人々もいました。しかし、2008年のリーマンショックで現金が必要になった人々から資金の引き上げ要求が相次ぎ、マドフはついに、「自分が詐欺を行っていた」と二人の息子に告白しました。息子たちは司法当局に通報し、2008年12月10、バーナード・マドフは逮捕されました。彼の金融詐欺による被害額は650億ドル(約6兆円)で、被害者の多くがユダヤ系の金持ちたちで、被害者にはスティーヴン・スピルバーグやラリー・キング、エリ・ヴィーゼルといった有名人たちも含まれています。また、日本の金融機関も被害に遭っています。マドフは裁判で懲役150年の判決を受け、服役しています。

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この年末、バーナード・マドフ事件に関連し、2つの大きな動きがありました。下に転載しました新聞記事にもありますが、1つ目は、マドフの事業清算管財人アーヴィング・ピカード氏が、大手の金融機関に対して支払いを求める民事訴訟を連邦破産裁判所に起こしたことです。2つ目は、バーナード・マドフの長男で、マドフ証券で働いていた、マーク・マドフが2010年12月11日に自宅で自殺をしたことです。

『バーナード・マドフ事件』で取り上げられているファンドや大手金融機関は被害者の振りをして、「いくらいくら損失を被りました」ということを事件の発覚直後に発表しています。その一覧表は、『バーナード・マドフ事件』に収められています。しかし、下の新聞記事を読むと、実情はそんなに単純なものではないようです。これまでは、次のように考えられてきました。大手金融機関は、少しでも良い投資先を探すものだ。また、顧客からもリターンの大きい金融商品を売るように求められる。ここに、年率10パーセントは堅いファンドがある。それならそれに投資をする商品を作ろう。それなら顧客も満足する。それでマドフの詐欺行為に巻き込まれたのだ、と。しかし、彼らは、マドフが詐欺講をしていることを知っていたが、それを隠して金融商品を売っていた、と破産管財人は主張しています。さらに、マドフの下に集められた資金がこうした大手金融機関に投資されていたが、それらがうやむやになっているようです。簡単に言うと、「彼らがマドフに対して損をさせた」ということになります。

マドフは現在、懲役150年の判決を受け、ノースカロライナ州にある矯正施設に服役中です。彼が生きて刑務所を出ることはできないでしょう。彼は希代の悪人のように言われており、家族も大変な目に遭っています。マドフの奥さんのルースも生活費として2億円だけ手元に残すことを許されましたが、それ以外の資産は全て没収されました。息子たちはマドフが詐欺行為をしていることを知らなかったということで逮捕は免れましたが、彼らに対しての非難も大変なものでした。彼らもまたマドフによる詐欺の被害者で、貰えるはずの利益を貰えなかった点では他の被害者と何ら変わりません。それなのに、長男マークは自殺をしてしまいました。彼は大変に優しい性格であり、小さい時から人気者だったそうですから、「良心の呵責に耐えられずに」自殺したのだという解釈がなされるでしょう。しかし、彼の自殺の原因はまた別のところにあったと思う方が自然ではないかと思います。同時期に破産管財人による大手金融機関に対するお金の返還訴訟が起こされている、この点が大変に重要だと思います。

破産管財人が言うように、大手金融機関は決してただの被害者ではないと思われます。彼らもまた詐欺行為に加担したのだということなのでしょう。ですから、建前で言うと、彼らもお金を返還し、本当の被害者たちに渡るようにすべきなのです。しかし、下の記事にあるように、破産管財人による返還請求の額は大変なものです。アメリカ政府がこうした大手金融機関が潰れないように税金を投入したのに、お金を返還するとまた経営が悪化してしまいます。ですから、事件をうやむやにする必要があります。それもあって、今回、マーク・マドフに対して、逮捕するとか、訴訟を起こすといった圧力をかけて自殺にまで導いた勢力があると考えられます。ウォールストリートジャーナル紙がマーク・マドフについての記事を書き、その内容は彼の責任を追及するものだったという話、そして、マーク・マドフはそれを大変に気に病んでいたという話もあります。

日本もアメリカもマスコミを含めて全てががんじがらめに絡め取られていると私は考えます。ですから、マスコミではマドフは極悪人と言われ、地獄の火で焼かれろとまで言われていましたが、本当の悪は別にいるのではないかと思われるのです。

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

●「モルガンに5千億円請求 米国の巨額詐欺事件で」

MSN産経ニュース 2010年12月3日

 米国の巨額詐欺事件で服役中のナスダック・ストック・マーケット元会長バーナード・マドフ受刑者の事業清算手続きをしている管財人は2日、同受刑者による犯罪を助けたとして米金融大手JPモルガン・チェースに64億ドル(約5400億円)の支払いを求める訴えをニューヨークの連邦破産裁判所に起こしたと発表した。

 発表によると、JPモルガンは20年以上にわたって同受刑者の運営していた投資会社のメーンバンクの立場だったが、同受刑者の詐欺行為などを故意に無視していたと主張している。

 同管財人は詐欺被害者の損害回復に向け、スイスの金融大手UBSに対しても先月、20億ドル以上の補償を求めている。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/101203/fnc1012031031009-n1.htm


●「巨額詐欺主役の長男自殺か NYのマンションで首つり」

MSN産経ニュース 2010年12月12日

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)によると、巨額詐欺事件で服役中のナスダック・ストック・マーケット元会長バーナード・マドフ受刑者の長男マーク氏(46)が11日朝(日本時間同日夜)、ニューヨーク市内の自宅マンションで首をつった状態で死亡しているのが見つかった。

 同紙によると、マーク氏の弁護士は声明で自殺であると発表した。AP通信によると、捜査当局も自殺と見ている。

 APによると、この日はマドフ受刑者の逮捕からちょうど2年。マーク氏と弟は父親の詐欺事件に関し捜査の対象とはなったが、刑事訴追は受けていないという。知人によると、同氏は最近、ふさぎ込みがちだったという。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/america/101212/amr1012120159004-n1.htm


●「野村の英法人などを訴え 米巨額詐欺事件で」

47ニュース 2010年12月10日

 【ニューヨーク共同】米国の巨額詐欺事件で服役中のナスダック・ストック・マーケット元会長バーナード・マドフ14件受刑者の事業清算手続きをしている管財人は9日までに、証券最大手の野村ホールディングスの英国法人など7社に対して総額10億ドル(約840億円)超の支払いを求める訴えをニューヨークの連邦破産裁判所に起こしたと発表した。

 訴えられたのは野村の英投資銀行ノムラ・バンク・インターナショナルや米金融大手シティバンク、米金融大手バンク・オブ・アメリカ傘下の証券大手メリルリンチなど。

 発表によると、7社はマドフ受刑者の詐欺行為を認識していたか、認識していたとみられる時期に、受刑者の運営していた投資会社から資金を受け取っていた。これらの金融機関が投資商品の開発や提供も行っていたと指摘している。

 同管財人はこれまでに、スイスの金融大手UBSや米金融大手JPモルガン・チェースにも支払いを求めている。

http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010121001000060.html


●「野村証券に510万ドル請求 米巨額詐欺関連で海運会社」

47ニュース 2010年6月1日

 米国史上2番目の巨額詐欺事件で禁固150年とされたナスダック・ストック・マーケットのバーナード・マドフ元会長関与の金融商品に出資し損失が出たとして、東京の海運会社「乾汽船」が野村証券に約510万ドルの損害賠償を求め東京地裁に提訴していたことが1日、分かった。

 提訴した3月時点のレートでは約4億7千万円。野村ホールディングス・グループ広報部は「訴状は受け取っているが、訴訟対応などの詳細はコメントを控える」としている。

 訴状によると、乾汽船は2007年11月、野村証券が販売し、運用先にマドフ元会長の会社が関与していた金融商品に500万ドルを出資。マドフ元会長が08年12月に米連邦捜査局(FBI)に逮捕された後、野村証券は乾汽船に対し、この金融商品の運用先の一部が取引停止となったと通告、全額が損失となった。

 乾汽船側は出資の際に運用先にマドフ元会長の会社が含まれているとの説明は受けなかったと主張。野村証券は出資者に不合理な損害が出ないように配慮して商品の調査を行う注意義務を怠ったとしている。

 5月27日に第1回口頭弁論が開かれた。

http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010060101000335.html

(新聞記事転載貼り付け終わり)
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by Hfurumura | 2010-12-13 00:54