翻訳、評論の分野で活動するSNSI研究員の古村治彦のブログ
by Hfurumura
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福島調査報告記②

昼食後、タクシーは海に向かい、請戸地区に向かいました。ここは漁港の近くに多くの民家が立っている地域だったのですが、家が根こそぎ破壊され、爆撃でも受けたのかというほどでした。あたり一面が瓦礫が多い尽くしていました。そこで一匹の犬に出会い、昼食の残りを副島先生やっていると、14:07に浜通り地方を震源とする震度6弱の地震が発生しました。中田研究員が副島先生にすぐ車に乗って退避するように大声で促し、私たちはすぐにその場を離れました。

その後、国道6号線を北上し、南相馬市(人口:約7万3000人)に入りました。この南相馬市は、2006年に原町市と相馬郡の小高(おだか)町、鹿島(かしま)町が合併して誕生した市です。原町市は伝統行事「相馬野馬追(そうまののまおい)」で有名です。この南相馬市は、20キロ圏内の避難指示地域と20キロから30キロの屋内待避地域とに分けられ、苦労しています。市長さんがYouTubeで世界中にメッセージを発信し話題になりました。私たちは小高地区を通過しましたが、ここも津波で大変な被害を受けていました。数多くの船が腹を向けて田んぼの真ん中に横たわっている、自動車が潰れて用水路に突っ込んでいるといった光景が何キロも続いているのです。途中で防護服を着た自衛隊と機動隊の捜索隊の姿も確認できました。この地域では、防護服を着ずに、タクシーで走る方が異様な姿となるようで、こちらを見る隊員たちもいました。

その後、14;34、20キロ圏内の検問に差し掛かりました。ここも警視庁の警察官が立っており、「ここから出るともう入れません」という注意を受けただけで進むことができました。約3時間、20キロ圏内を走る結果となりました。20キロ圏内を超えると人々の生活があります。コンビニやガソリンスタンドは営業していました。ただ、鮨屋やレストランの多くは営業をしていませんでした。自動車が多く走っていますが、田村市と比べると、営業している店がかなり少ない印象です。その後、南相馬市立病院の前で計測したところ、値は毎時「2.1」マイクロシーベルトでした。

(20)14:45 南相馬市立病院前 「2.1」マイクロシーベルト

私たちは原町地区を目指し、南相馬の人たちの話を聞こうということになり、JR原ノ町駅まで向かうことにしました。その途中、営業をしていた喫茶店「喫茶憩い」に入り、休憩を取ることになりました。ここでお店のご主人や地元の人たちと話をしました。副島先生が「私たちは郡山から原発の正門前まで行って、今北上してきたところです」と言うと、地元の人たちは興味を持ってくれ、色々と話をしてくれました。その内容を書きます。①今は物資の不足は感じない、大変だったのはガソリンと灯油。②国会議員や福島県の佐藤雄平知事が南相馬市まで来ているという話を聞いたことがない、③南相馬が計画非難地域に入ったのか分からない、④どこに逃げればいいのか、⑤南相馬市が用意したバスで避難する人は草津温泉に行っているそうだ、⑤自分たち(喫茶店のご主人)も地震直後に避難したが、避難所にしても親せきや知り合いの家にしても、1週間が限度だ。⑥どうしようかと思っていた、2011年3月29日に喫茶店の前のコンビニが営業を再開したので、自分たちも3月30日にまた営業を再開した。私たちは話を聞かせてくれたお礼を言って店を出てタクシーに乗っていると、お店の女性が追いかけてきて、「副島先生のことが掲載された雑誌を見せて欲しい」ということだったので、1冊あげて別れました。別れた後に原ノ町駅近くで計測した値は、毎時「3.1」マイクロシーベルトでした。

(21)15:27 JR原ノ町駅付近 「3.1」マイクロシーベルト

その後、南相馬市の北にある相馬市に向かいました。途中で原町火力発電所(はらまちかりょくはつでんしょ)を通過しました。また途中、サテライト福島という競輪の場外者券売り場施設を通ったところ、自衛隊が滞在しているらしく、トラックやテントが見られました。

私たちは相馬市(人口:約3万8000人)に入り、相馬市の松川浦(まつかわうら)地区に入りました。ここは相馬港に隣接し、潮干狩りの場所として大変人気のある場所だそうです。また、海苔の養殖も大変盛んであるということでした。ここの津波の被害の状況も惨憺たるものでしたが、自衛隊や地元の人々が必死に復旧作業を行っていました。ここでも厚さ1.5メートルはあるコンクリート製の堤防が破壊され、建物も鉄骨だけ残して立っているという状況です。漁船のための重油が入っていたタンクもひしゃげているという状況でした。そして、この漁港から数百メートル行った住宅地では言葉を失いました。目の前の状況に何も言葉が出ませんでした。この松川浦で計測した値は、毎時「2.4」マイクロシーベルトでした。

(22)15:58 相馬市松川浦 「2.4」マイクロシーベルト

その後、相馬市内を走り、相馬消防署前でも計測を行い、その値は毎時「2.6」マイクロシーベルトでした。

(23)16:37 相馬消防署前 「2.6」マイクロシーベルト

その後、私たちは30キロ圏外でありながら、放射能物質の検出量が多い、飯舘村(いいだてむら、人口:約6200人)に向かいました。相馬市から山を越えて行くのですが、道路は綺麗に舗装されています。中田研究員と私は車に少し酔いながら座っています。17:13に飯舘村佐須(さす)という地区に着きました。外は風が冷たく、晩秋のようでした。私たちが乗っているタクシーの運転手さんが道に迷って路肩に停まっていると、一台の自動車が停まってくれました。

その方は、草野地区の民生委員の方でした。そしてその方からお話を聞くことができました。飯舘村では前日の政府による「計画非難」地域に指定されたことで、住民たちが緊急に集まることになっているということでした。飯舘村の各地区で小学校などに集まり、住民集会が行われるということでした。4月14日は草野地区で集会が開かれ、4月16日にはまた別の地区で集会が開かれるということでした。この方は民生委員ということで、地震直後から、地区の老人たちの安否確認や世話を行うために自動車で走りまわっていたそうです。ですから、ガソリンの不足は本当に堪えたそうで、朝5時から並んでガソリンを手に入れるという状況だったそうです。他の物資に関しては不自由はしていないということでした。

この民生委員の男性は40年以上前、福島第一原発が建設される際に、「自分は反対だった」と私たちに語りました。その理由として、原発に関して、ある専門家から、「風の動きを考えると、福島第一原発で何かあったらこの飯舘村に放射能物質が飛んでくることになる」ということを聞いたのだそうです。これは重要な話です。40年以上前から、原発事故が起きれば飯舘村に影響が及ぶということが既に研究結果として出ていたことになります。

この民生委員の男性には孫がおり、その孫のために靴を買おうと福島市まで行ったそうです。そこで、「飯舘村から来たんだけど」と店員に行ったところ、近くにいた店員2人がぱっと離れたという話をしてくれました。テレビでは報道されませんが、インターネットではこうした風評による差別の話はセンセーショナルに書かれていますが、そうした状況があるのは事実のようです。私たちの乗っているタクシーの運転手さんは「同じ県みんなのに、なんてことをするんだ」と驚いていました。そして、「私が住む郡山でも避難してきた人たちでどこから来たか言いたがらない人たちがいるんですよ。そういう扱いを受けたんだね」という話をしてくれました。寒い中、話を聞かせてくれた民生委員の男性にお礼を言って別れた私たちは、飯舘村の役場がある伊丹沢(いたみさわ)を目指しました。この佐須地区で計測した値は、毎時「9.3」マイクロシーベルトでした。これは確かに相馬市や南相馬市での値よりも高いものでした。また、途中、飯舘村草野地区で計測したところ、毎時「7.9」マイクロシーベルトでした。

(24)17:13 飯舘村佐須地区 「9.3」マイクロシーベルト

(25)17:40 飯舘村草野地区 「7.9」マイクロシーベルト

私たちは、飯舘村役場に到着しました。役場の駐車場にはNHKの中継車も来ていました。飯舘村役場は平成6年に総工費10億円で作られた、大変立派な建物です。村役場の玄関わきには、支援物資である水の入った段ボールが山積みにされていました。ここで地元の世話役の男性に話を聞くことができました。この男性はまず、「この村には6200人もいて、牛が2000頭もいて、どこに避難するんだ」「高齢化が進み、70歳以上の年寄りが1000人もいるんだ」と教えてくれました。「ここら辺は夜がグッと寒くなって風の力が落ちてそれで放射性物質が落ちてくるし、雪が降ったから、高い値が出るんだ」という話をしてくれました。そこで皆の眼のまで測定をしてみました。その値は毎時「7.8」マイクロシーベルトでした。

(26)17:45 飯舘村役場前 「7.8」

私たちが役場の建物に入ると外国人が数名います。聞いてみると、アメリカの三大ネットワークの1つであるABCのクルーでした。20:00からアメリカに向けて生中継をするということでした。テレビで見たことがある有名な記者が中継の準備をしていました。役場の2階の会議室では村議会が開かれていました。

丁度その時、テレビでは菅総理によるメッセージが生中継されていました。しかし、役場にいる人たちでそれを気にする人は誰もいません。自分たちが運命を決められてしまう側の人たちは、それに対応するために、奔走していました。

私たちが2階にいると、先ほど、話をしてくれた男性がやって来て、近くのソファーに座りました。「疲れたよ、もう限界だ」と私たちに話しかけてくれました。そして、色々な話をしてくれました。飯舘村に住む一男性の話ですから、マスコミで流されることはないでしょう。しかし、私は、書き留めたメモを基にして、その話を再現してみたいと思います。

男性:「この村は昭和31年に二つの村が合併してできたんだ。それから50年、村づくりをやってきた。例外に何度も見舞われて、それで畜産に賭けたんだ。(それでは80年代の牛肉・オレンジの開放の時も大変だったでしょう、と私が訊ねると)そうだ。どうやって生活しようかと思ったほどだ」

男性:「日本性はダメだ。アメリカとフランスに原発事故の対応を任せて、止めてもらった方が良い。経験があるんでしょ。そして、もう福島第二原発も止めて欲しい」

男性:「(町長室を指さして)町長は今来客中だ。本当に疲れていて、思考力、判断力が落ちてしまう。もう限界なんだ。石原都知事は取り巻きがしっかりしているから良いな」

男性:「東京の人で、東京電力を使っている地域の人で、分かった、助けると言って駆けつけてきた人は誰もいない。知事も来ないしな」

男性:「地方自治体はものを言えねばダメだ。こんな地方自治体になってしまったのは、はっきり言って、自民党政治のつけだ」

男性:「日本人らしさはもうなくなってしまったんだな。俺たちは見捨てられたんだな」

この地区の世話役の男性から出てくる言葉を書きとめるだけで、私は何も言えませんでした。出発時刻が近づき、私はお礼を言って別れました。

そして、18;25、飯舘村役場を出発し、郡山を目指しました。これで、今回の調査と取材は終わりました。

ここからは、私が感じたことを書きたいと思います。

今回の大震災では、地震と津波、そして原発事故という複数の災害が発生しました。そのうち、地震と津波は天災であり、これまでの人々もそれを生き抜いてきたし、今は地震警報や津波警報もあり、ある程度の備えもできます。また余震が何度も発生していますが、震度6以上の大きな揺れであれば建物や道路が壊れることはあるが、それ以下なら何とかなるという、積極的な意味での「慣れ」が出来てきました。

それでも、やはり地震、津波の被害には言葉もありませんでした。自然の恐ろしさを噛みしめました。しかし、「のど元過ぎて熱さ忘れる」という言葉もあるように、人間は忘れやすくできているようです。しかし、爆撃後のような光景を私は忘れないでおこうと思います。

問題は原発事故の方です。事故が起きて1カ月、様々な報道がなされ、色々な意見が出されてきました。私もそれらに迷っていたと思います。しかし、本当に
「百聞は一見に如かず」という言葉の通りです。行ってみて、現実が分かるということがあります。私は、今回現実を知るために、今回は原発の正門前まで行きました。そのために副島先生に前々からお願いしていました。私が行ってみて分かったことは、「放射能は恐ろしいものであるが、過度に恐れる必要はない」ということです。そして、「福島の人たちは放射能物質がほんの少しではあるが大気に漂う中で、日常生活を送っている。東京でワーワー言うことに意味はほとんどなく、何か言うなら福島の人たちの側に立った内容を話すのが当たり前のことだ」ということです。

私たちのように福島に行き、原発の正門前まで行くことは多くの人はできないし、する必要もないことです。しかし、ただ、「怖い怖い」とか「絶対に安全だ」と闇雲に言う前に、出されるデータを使い、自分が判断することが大切だと思います。何かに頼るだけでなく、自分で材料を集めてそれを使って判断することは私もできていなかった、と反省しています。

私は26回のガイガーカウンターを使っての測定結果の数値を報告として書きました。この値をどう使うかは読んで下さる方々がお考えになることです。私は、この数値を見て、「過度に怖がる必要はない」と考えるようになっています。副島先生のように言い切りたいのですが、私は先生にも注意を受けるほどの、「臆病者」です。しかし、その私でも、「過度に怖がることはない」と考えるようになりました。自分で情報を集め、それを基に判断していけば、「過度に」という言葉も取れて行くでしょう。

「過度に怖がるのでもなく、過度に楽観するのでもなく、自分が集められるデータや材料を使って、自分の頭で判断する」ということは、今回の原発事故に対する態度だけでなく、これからの生き方の指針になると思います。この機会を使って、私もこの指針を持って考えることを始めたいと思います。

以上、大変長くなりましたが、調査・取材報告といたします。最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

(終わり)
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by Hfurumura | 2011-04-24 01:42 | 福島

福島調査報告記①

古村治彦です。

今回は、2011年4月12日に福島県で行いました調査・取材の結果をご報告いたします。

今回と次回の2回に分けて掲載します。長くて単調な記述が続きますが、お読みいただければ幸いです。

=====

今回の調査・取材に参加したのは、副島隆彦先生、SNSI研究員の中田安彦、古村治彦の3名です。

私たちは、2011年4月12日8:00に埼玉県にあるJR大宮駅に集合し、8:22に大宮駅を出発する山形新幹線つばさ号で郡山に向かう予定にしていました。新幹線のプラットフォームに上がって数分経った8:08に大きな揺れを感じまた。プラットフォーム上にある電光掲示板や電線が激しく揺れていました。これは千葉県東方沖を震源とする地震で、1分もしないうちに収まりましたが新幹線は運行を一時停止しました。

しかし、数分して運転を再開し、私たちは8:32に出発となった新幹線に無事乗車しました。車内は多くのサラリーマンが乗車していました。これらの人々は、4月12日から新幹線が東京から那須塩原を超える区間で運転を再開したため、東北地方にある取引先へ直接お見舞いに向かう、もしくは中断していた仕事をしに行くということを目的にしていたようです。

今回の調査・取材の目的の一つが、副島先生が前回の調査・取材の途中で、富岡町で保護したメス猫「富岡タマ」(本名:「魚八」さんとこのミーコ)を飼い主にお返しするというものでした。ミーコは移動用のバスケットに入れられて、大変我慢強く静かにしていましたが、新幹線での移動中は、不安と疲れからか、鳴き続けていました。

9:45にJR郡山駅に到着、改札口で飼い主とその友人が待っておられ、ミーコの帰還を大変喜ばれていました。副島先生も嬉しそうに、ミーコを何回も抱き上げ、「良かったな、元気でな、また会いに行くから」と声を掛けていました。ミーコを無事にお返しした後、少し駅前を歩きました。郡山市は福島県のほぼ中央部に位置し、県内最大の人口(約33万8000人)が住む都市です。

その後、10:10にお願いしていたタクシーに乗車し、郡山から国道288号線を東に向かい、東京電力福島第一原子力発電所に向かうことになりました。国道288号線は、地元では、「にいぱっぱ」と呼ばれています。また「都路街道」とも呼ばれています。タクシー乗車後、郡山市内で最初の放射能量の測定を、副島先生が所有するガイガーカウンターで行いました。10:15に阿武隈川の近くで計測した値は、毎時「2.6」マイクロシーベルトでした。

(1)10:15 郡山市内阿武隈川近く 「2.6」マイクロシーベルト

その後、10:31に三春町(人口:約1万8000人)で計測した値は、毎時「2.3」マイクロシーベルトでした。三春町は「三春滝桜」という立派なしだれ桜で有名な町で、日本三大桜の一つにも数えられる銘木だそうです。毎年、この時期になると桜祭りが開催され、観光客が多く訪れるのですが、今年は桜祭りも中止となり、大変静かな雰囲気だそうです。三春町で計測したところ、値は毎時「2.3」マイクロシーベルトでした。

(2)10:31 三春町 「2.3」マイクロシーベルト

タクシーは三春町を抜け、田村市(人口:約4万人)に入りました。田村市は2005年に船引町、滝根町、大越町、都路村、常葉町が合併して誕生した市です。田村市船引(ふねひき)地区(2005年に合併する前は田村郡船引町)は、民主党の玄葉光一郎衆議院議員(民主党政調会長兼国務大臣)の出身地です。やはり地元ということで、玄葉議員のポスターを多く見かけたました。また新党改革参議院議員荒井広幸(あらいひろゆき)氏も同船引地区の出身だそうです。田村市船引地区で計測した値は、毎時「2.9」マイクロシーベルトでした。

(3)10:38 田村市船引地区 「2.9」マイクロシーベルト

10:55に田村市常葉(ときわ)地区に入りました。ここも市町村合併の前は田村郡に属する町でした。地区に入ってすぐに計測した値は、毎時「2.6」マイクロシーベルトでした。

(4)10:55 田村市常葉地区 「2.6」マイクロシーベルト

11:15に今度は、田村市都路(みやこじ)地区に入りました。都路地区は合併前は田村郡都路村でした。村と聞くと、のどかな印象を持ちますが、国道288号線に沿って、民家や商店が多く立ち並んでいました。人々は日常の生活に戻っていました。地震の痕跡も瓦屋根にブルーシートが被せられている、もしくは壁にひびが入っているというものでした。都路地区に入ってすぐに計測をした値、毎時「2.8」マイクロシーベルトでした。

(5)11:15 田村市都路地区 「2.8」マイクロシーベルト

田村市都路地区で一軒の酒屋さんがコンビニの役割を果たしているお店に入りました。そこで、飲料水やお茶、そして、副島先生の前回の原発調査・取材時の様子を特集している雑誌(「アサヒ芸能」)を購入しました。また中田研究員は福島の地元紙「福島民報」を購入していました。福島には、「福島民報」と「福島民友」の2つの地元紙があります。「福島民友」は読売新聞系だということでした。20キロ圏内からほんの数キロ先では、このように、流通も回復し、日常生活が支障なく送れるような状況にあります。コンビニに立ち寄ったついでに都路地区中心部の別々の場所で2回計測したところ、それぞれ「2.2」マイクロシーベルト、「2.8」マイクロシーベルトの値を計測しました。

(6)11:21 田村市都路地区 「2.2」マイクロシーベルト

(7)11:25 田村市都路地区中心部 「2.8」マイクロシーベルト

それからほんの数分進むと、国道288号線で無人の規制線が張られ、通行できなくなっていました。ここが福島第一原発から半径20キロの地点なのです。私たちはタクシーを降り、無人の警戒線から100メートルほど先にある、有人(警察官がいる)の規制線に徒歩で近づいて行きました。2名のマスクをしてはいるが、通常の恰好をしている警察官が近づいてきました。彼らは東京から来た警視庁第4機動隊(通称鬼の4機)所属の隊員たちでした。彼らは私たちにここから先は通行できない、と告げました。副島先生がどういう法律に基づいて通行できないのかと質問すると、「政府の指示です」「菅総理の指示です」という答えでした。副島先生は週刊誌を見せながら、「法律に基づかなければ人間の行動を制限できない」と副島先生は週刊誌を見せながら、「私たちは調査・取材に行
くのです。通しなさい」と告げました。警察官たちは「責任者に相談する」と答え、約10分ほど待っていたら、「通って良い。マスクをして気をつけて行ってください」ということになりました。

都路地区の検問(規制線)は、2010年4月3日に張られ、警察官が常駐して、自動車や人の通行を遮断しているということでした。また、副島先生と私たちのように警察に通すようにと言って、実際に通っていった人はいない、ということでした。

現在、20キロ圏内には政府による「避難指示」が出ていますが、住民や取材者を強制的に立ち入らせない力を持っているものではありません。「危険があるので、どうぞ入らないでください」と警察はいいますが、それ以上のことはできません。ですから、住民が「私は圏内の住人で家財や飼っている動物が心配なので様子を見に行く」「持っていける財産を持ちだすために短時間だけ入る」などと強固に言い続ければ、警察も「それではどうぞ、気をつけて行ってください」と言うしかないのです。ですから住民の皆さんで一時的でも家に帰りたいと考えている方は20キロ圏内に入るのは可能ですから、警察にしつこく言えば通します。(2011年4月22日から警戒区域となり、入るには許可証が必要になりました)

警察官からの答えを待つ間、ガイガーカウンターで計測したところ、毎時「3.5」マイクロシーベルトの値を計測しました。警察官たちはガイガーカウンターの数値を眺め、週刊誌の記事に目をやりながら私たちの近くに立ち、話に静かなトーンで応じていました。

(8)11:39 田村市都路地区警戒線付近 「3.5」マイクロシーベルト

11:50に、私たちは警戒線を超えて、20キロ圏内の地域に入りました。見た目や匂いで20キロ圏内と圏外に違いは何もありません。時折見かける民家、農家、工事現場などに人影は全く見当たりませんでした。途中で乗り捨てられた自動車を数台見かけました。途中のトンネルでは照明がなく、真っ暗の中を進みました。また、途中に落石によって真中からポッキリと折れてしまったコンクリート製の電柱もありました。20キロ圏内では、地震の後片付けもできていないし、電気がともったままの商店もあるように住民はとりあえず、持てるだけの荷物を持って一時避難のつもりで圏内から退避したように思われます。20キロ圏内に入ってすぐに計測したところ、「3.1」マイクロシーベルトの値を計測しました。

(9)11:52 都路地区20キロ圏内入ってすぐ 「3.1」マイクロシーベルト

大熊町(人口:約1万1000人)に入ったのは11:57です。福島第一原発があるのはこの大熊町です。大熊町でもやはり人影は見当たらず、大変静まり返っていました。数軒の家は、窓やドアが開け放たれていました。物盗りの犯行なのか、住民がそうしたのかは分かりませんが、強風でカーテンがなびく様子は異様なものでした。また、大熊町に入って以降、道路の亀裂や段差が激しくなりましたが、タクシーの通行を妨げるということはありませんでした。大熊町は住民と町役場が会津若松市に避難しています。

大熊町では、国道288号線を通って入ってすぐの地点と原発から5キロ離れた地点でそれぞれ測定をしましたが、それぞれ毎時「3.4」マイクロシーベルト、毎時「17.9」マイクロシーベルトの値を計測しました。

(10)11:59 大熊町に入ってすぐ 「3.4」マイクロシーベルト

(11)12:08 大熊町5キロ圏内 「17.9」マイクロシーベルト

大熊町役場の前も通りました。大変立派な町役場の建物でした。その他にも体育館などの施設も立派で、また、全体的に立派な住宅も多く、豊かな自治体なのだろうと推察できました。大熊町役場近くで計測した値は、毎時「24.0」マイクロシーベルトでした。

(12)12:15 大熊町役場近く 「24.0」マイクロシーベルト

12:20、いよいよ東京福島福島第一原子力発電所に近づきました。周りに協力企業の社屋や倉庫などがあり、その間を抜けて行くと、林があり、そこを抜けると、左手にゲストセンターが見え、そして、原子力発電所の正門前に到着しました。途中で高速で駆け抜けるトラックや自動車とすれ違いましたが、乗車している人たちは皆、防護服を着ていました。彼らは私たちを見てぎょっとした表情を浮かべていました。

私たちはタクシーを降り、歩いて正門に近づきました。正門前の警備をしている職員が3名見え、その内の2人が小走りに近づいてきました。「近づかないでください」「離れてください」「撮影をしないでください」「お名前は」と慌てた様子で話しかけてきます。副島先生は「また来ました。私は副島隆彦です」と悠然と答えていました。この時、計測した値は、空中で毎時「127」マイクロシーベルト、芝生の上で毎時「1088」マイクロシーベルトでした。私たちは、職員たちに「ありがとうございました」と挨拶し、数分でタクシーに乗り、引き上げました。職員の人たちは無言でしたが、会釈を返してくれました。ちなみに正門前の警備の職員は2交代制だそうです。

原発から20キロ圏内では、防護服を着ているのが普通で、私たちのように着ていないのが異常なのです。ですから、私たちは大変な闖入者ということになります。

(13)12:20 福島第一原発正門前 「127」マイクロシーベルト、芝生の上「1088」マイクロシーベルト

原発に沿う形で、しばらく走りました。自分は気が小さく、引っ込み思案なのを先生にも注意されるほどですが、原発に近づいたときは、意外なほど落ち着いていました。ガイガーカウンターを持ち測定をしながらでしたのでそこまで怯えなかったのだと思います。しかし、「普通の人々は近づかないし、近づけない場所に接近した」という思いに心が昂ぶっていました。大熊町を抜ける途中、福島第一原発の5号機、6号機が良く見える場所がありました。カメラの望遠レンズで見てみると、青色の建物にそれぞれ「5」、「6」という数字が書いてありました。

そして、タクシーはやはり原発の町と呼ばれる双葉町(人口:約6800人)に入りました。道路はあり変わらず亀裂が入り、盛り上がって段差になっている場所もありました。双葉町も大熊町同様、人はおらず、静まり返っていました。信号は作動していませんが、対向車が来る可能性はほとんどないという状況でした。双葉町は住民と町役場が埼玉県さいたま市にあるさいたまスーパーアリーナに一時避難し、現在は埼玉県加須市にある旧騎西高校に移っています。大熊町から双葉町に入ったくらいの地点で計測したところ、値は毎時「33」マイクロシーベルトでした。

(14)12:42 双葉町に入ってすぐ 「33」マイクロシーベルト  

その後、双葉町の海岸へ出ました。ここは原発から約2キロの地点です。海岸は津波の影響でめちゃくちゃになっており、もちろん片づけもされていませんでした。堤防も一部が破壊され、津波の威力は想像に絶するものです。津波の引いた後は、海の底の土に水分が残っているので、黒くなっています。これは津波の被害を受けた場所はどこでも共通するものです。そして、乾いたところからそれが砂になって舞い上がります。

堤防の突端に出ると、福島第一原発の5号機、6号機をはじめ、その奥まで見えます。高性能のカメラではなく、普通のカメラの望遠レンズでもひしゃげた鉄骨の様子が見えました。ここで計測したところ、値は毎時「13」マイクロシーベルトでした。風が北から吹くので、放射能物質が少なく、値が低いと推察されます。

(15)12:45 双葉町海岸・原発から2キロ地点 「13」マイクロシーベルト

その後、タクシーで国道6号線(常磐線)を北上し、双葉町を縦断する形になりました。途中、鉄道のコンクリートの橋が崩れている場所がありました。この付近の古い民家は1階がぺしゃんこになっているものもありました。2011年3月11日の地震とその後の大きな余震でここまでの大きな被害が出ていることに驚きました。この付近でも計測してみたところ、値は毎時「6.3」マイクロシーベルトでした。

(16)13:09 双葉町鉄道橋崩落現場付近 「6.3」マイクロシーベルト

北上する途中、JR双葉駅に立ち寄りました。もちろん誰もいませんし、列車もありません。駅前のお店のガラスが割れていましたが、家の中にガラスの破片が落ちていたので、物盗りの可能性もあります。警察が規制線を張り、検問を行うまでは出入りが割と自由だったので、住民だけでなく、外部からの物盗りも入ってきたものと考えられます。駅前のタクシー会社にはタクシーだけが残されていました。駅前でも計測してみましたが、値は毎時「8.0」マイクロシーベルトでした。

(17)13:19 JR双葉駅前 「8.0」マイクロシーベルト

国道6号線を北上し、私たちは浪江町(人口:2万800人)に入りました。浪江町役場と多くの住民は現在福島県二本松市に避難しています。浪江町には請戸(うけど)という地区に漁港があり、漁業が大変盛んな町です。請戸漁港に行く途中、浪江町に入ってすぐの地点と立派な建物の浪江町役場の前で計測をして、値はそれぞれ、毎時「2.6」と「3.1」でした。途中、浪江駅前でタクシーを停車し、車内でミーコの飼い主である渡辺さんからいただいたサンドイッチで昼食を済ませました。昼食の最中に2台の自動車が近づいてきました。副島先生が話を聞こうと近づくと、スピードを上げて去って行きました。若い人たちばかりだったということで、冒険心から20キロ圏内に入ったのか、もしくは窃盗を行おうという意図だったのだろうと考えられます。浪江駅前も商店の柱は曲がり、壁は崩れ、ガラスも割れているという惨状でした。

(18)13:31 浪江町入ってすぐ 「2.6」マイクロシーベルト

(19)14:00 浪江町役場 「3.2」マイクロシーベルト

(つづく)
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by Hfurumura | 2011-04-22 01:15 | 福島

ニューヨーク・タイムズ紙の社説とその反論をご紹介します

古村治彦です。

本日は、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された社説とそれに対する反論をご紹介します。

ニューヨーク・タイムズ紙は2011年4月2日付の社説で、ロビイストだった人たちで、連邦議員スタッフや議会スタッフに転身する人の数が急増していることを批判しています。ニューヨーク・タイムズ紙はロビイストとして特定の団体の利益のために働いていた人物が何の制限もなくすぐに議会関係に転職して、法案を書く仕事に就けるのはおかしいと批判しています。

一方、この社説に対する読者からの反論が2011年4月5日付のニューヨーク・タイムズ紙に掲載されました。この読者は、以前連邦下院議員をし、現在は弁護士・ロビイストとして活動しているブルース・モリソンという人物です。彼は、ニューヨーク・タイムズ紙は「議員が操り人形に過ぎない」という点を批判したいはずなのにそこをはっきりと批判せず、迂回する形で、「議員や議会がロビイストをしていた人をスタッフとして採用するのはおかしい」という批判の仕方はおかしいと反論しています。モリソン氏は議員や議会をきちんと批判するべきで、ロビイストやロビイストだった人物を安易に批判すべきではないと主張しています。

私はこ2つの文章を興味深く読みました。そして、モリソン氏のロビイストに関する反論も当たっているが、ニューヨーク・タイムズ紙の批判の向いている先はそれだけではないと思います。ニューヨーク・タイムズ紙はティーパーティー運動に対しても批判をしていると私は感じました。ランド・ポール上院議員やロン・ジョンソン上院議員に対する批判によって、「ティーパーティー運動も結局、ワシントンの慣習に取り込まれているではないか」と言いたいのだろうと思います。

ニューヨーク・タイムズはリベラルな編集方針として知られていますが、アメリカのリベラル派はティーパーティー運動が大嫌いです。今回の社説はいみじくもそのことを明らかにしました。

それでは拙訳をお読みください。

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社説
●媒介者を排除する(Cutting Out the Middleman)

2011年4月2日
ニューヨーク・タイムズ(New York Times)紙

過去6年、ダグ・スタッフォードは、「ナショナル・ライト・トゥ・ワーク・コミッティー」という団体のために働くロビイストだった。この団体は、労働組合に反対する団体であり、資金は実業界や保守系の人々から出ている。2010年、スタッフォードは仕事を変えた。しかし、彼の仕事内容はこれまでと一緒だ。彼は、ケンタッキー州選出の連邦上院議員ランド・ポールの首席スタッフとなった。ポール議員は現在、「ナショナル・ライト・トゥ・ワーク(全米勤労権)」法案の提出を準備中である。ポール議員によると、この法案の中身は、労働者に対する強制的な組合への参加を止めさせ、「巨大労働組合が数十億ドルも政治家に献金するためのマシーンになっている現状を打破する」というものである。

ブレット・ローパーのキャリアもスタッフォードのキャリアとよく似ている。ローパーは医療機器販売企業で作る団体、「アドバンスド・メディカル・テクノロジー・アソシエーション」の役員だった。ローパーはオバマ大統領が提案した医療保険改革に対して、反対の立場から激しいロビー活動を展開した。ローパーは、現在、連邦下院議長ジョン・ベイナーの首席政策顧問として働いている。ローパーは健康保険法の撤廃に向けて様々な努力をしている人々を取りまとめる手助けをしている。彼の仕事の中身は変わらないが、変わったことと言えば、彼の給料は納税者の支払う税金から出ているということだ。

連邦議会の議事堂とワシントンのKストリートを往復するシャトルサービスは長い歴史がある。シャトルサービスの回数はどんどん多くなっている。昨年の中間選挙で共和党が勝利した。それ以降、約100名の議員たちがロビイストたちを首席スタッフや法案作成担当として雇っている。このデータは、ワシントン政治を監視している2つの団体、「センター・フォー・レスポンシヴ・ポリティックス」と「リマッピング・ティベイト」から出されたものだ。ロビイストから議員のスタッフに転身した人の数は過去2年間に比べ、2倍以上になっている。

同時期、連邦議会委員会や小委員会に40名のロビイストたちが採用された。連邦議会の委員会や小委員会はいわば、法律が起草されるボイラールーム(最初となる場所)である。この40名という数字もまた過去2年間に比べて多い数字となっている。

ロビイストから議員スタッフに転身した人たちのうち、数名は民主党の議員たちに雇われた。しかし、大部分は共和党の議員たちのために働いている。アイダホ州で初当選したラウル・ラブラドール下院議員(共和党)は全米ライフル協会のロビイストだったジョン・グッドウィンを首席スタッフとして採用した。フレッド・アップトン連邦下院エネルギー・商業委員会委員長は医療保険企業団体のロビイストだったハワード・コーエンを首席アドバイサーとして迎え入れた。

多くの場合、ロビイストだった人物をスタッフに迎え入れたのはティーパーティー運動から支持を受けた候補者たちだ。彼らはワシントンで行われてきた慣習を打破すると訴えてきた人々だ。ワシントン・ポスト紙はウィスコンシン州の連邦上院議員選挙の様子を記事にしている。その中で、現職だったラス・ファインゴールド議員に対して、ティーパーティー運動の支持を受けたロン・ジョンソン候補は、「ファインゴールド氏は特殊利益とロビイストたちの側に立っている」と激しく批判した。ジョンソン氏は今や連邦上院議員である。ジョンソン議員は、カジノ業界、防衛産業、国内安全保障企業のロビー活動をしていた弁護士のドナルド・ケントを首席スタッフとして迎え入れた。

倫理法の規定では、選挙で選ばれる役職に就いている人がロビー活動を行っている法律事務所などに移ることに制限が設けられている。しかし、ロビイストだった人物が議員スタッフや議会スタッフとなることに何の制限もない。今年スタッフとなった人々はロビイストから議会関係への転職を厳しく禁止べきだと主張している。ロビイストとして実業界、労働組合、その他の団体から数百万ドルを受け取った人物がそのまま議会関係のスタッフとなり、特殊利益を持つ人々のためになる法律を書くということは許されるべきではない。


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投書
●議事堂にいるロビイストたち

2011年4月5日
ブルース・A・モリソン筆
ニューヨーク・タイムズ(New York Times)紙

私は民主党所属の連邦下院議員だった。現在は弁護士とロビイストとして活動している。貴紙の社説「媒介者を排除する」(2011年4月3日付)を読んで、次のような疑問が浮かんできた。この記事では一体何を批判しているのか?労働組合に反対している上院議員が、労働組合の活動を制限する法案を書くために、労働組合に反対する活動をしてきたロビイストを採用している。ロビイストを採用することを批判しているのなら、その上院議員が労働組合に反対している弁護士や、労働組合に反対する論文ばかりを書いている大学教授を雇用することは許されるのか?前もって政策の勉強をしていない哲人王や哲人女王が議会に入るべきだろうか?

貴紙が本当に批判したいのは、連邦上院議員や下院議員が、彼らの雇っているスタッフたちの操り人形に過ぎないということだろう。しかし、ランド・ポール上院議員やジョン・ベイナー下院議長はそうした批判には当たらないように見える。

確かに連邦議会は、様々な人々や団体の小さな利益が衝突し、それによってうまく機能していない。ロビイストたちの増加とロビー活動の激化は一時の現象であり、それは連邦議会がうまく機能しないことの原因ではない。ロビイストやロビー活動に対する規制を強化しても、そうしたルールに従う気のない人々を利するだけだ。解決策は議員選挙に出る人たちとその人たちを支える人たちに対する規制であって、彼らに雇われる人たちに対する規制ではない。

ブルース・A・モリソン
モリソン・パブリック・アフェアーズ・グループ会長
メリーランド州ベセスダ
2011年4月3日記

(終わり)
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by Hfurumura | 2011-04-06 12:46 | アメリカ政治

ウォルトによる大震災と原発事故についての文章

古村治彦です。

本日は、スティーヴン・ウォルトが日本で発生した大震災について書いた文章と原発事故に関して書いた文章をご紹介します。

ウォルトは、国際関係論(International Relations)という政治学の一分野の研究者です。そして国際関係論の学派の中では、リアリズムという学派に属しています。このリアリズムを訳せば現実主義ということになります。この学派は国際関係は自国の国益を追求するために、各国が争うという考えに
基づいて思考をする人々です。

リアリストが今回の大震災に対してどのような反応したのか、大変興味深い内容となっています。

それでは拙訳をお読みください。

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日本で発生した地震について

スティーヴン・ウォルト(Stephen M. Walt)筆
2011年3月11日
フォーリン・ポリシー(Foreign Policy)誌

私は日本で起きた大震災についての衝撃的なシーンを見た。私はこれに対する深遠な知恵を持っていないし、含蓄ある言葉を発することはできない。アンドリュー・サリバンのブログ「デイリー・ディッシュ」ではいつものように多くのビデオ、ツィートなどが紹介されていた。私はこの文章で、今回の大震災のような、予期しない大災害について一点だけ指摘しておきたい。私も含めて多くの人間が予想しなかった大災害を受けて過剰な思い入れをくどくど繰り返す理由の一つは、人生は予想できないからだ。これは単純だが事実だ。素晴らしい政治哲学者であるドナルド・ラムズフェルドの言葉を引用しよう。「クソいまいましいことが始まりやがった」。

どんなに用意周到な計画を立てても、常に受け入れがたい想定外の出来事は起こるものだ。地震はこれからも常に想定外の出来事の一つとして起こっていくだろう。その他にもアメリカに友好的だった外国のリーダーが突然失脚すること、金融パニック、伝染病の大流行、計画よりも実施が困難な軍事作戦もそうした想定外の出来事として挙げられるだろう。

全く予期していなかった出来事が起きるとき、諸大国はそれに対処するだけの余力を持っていなければならない。しかし、ある国では、すでに多くのお金のかかる事業を行っていて余力が全くなく、その国の市民たちが税金を収めたがらず、政府の資金力がない場合、危機が突然襲って来た時、それに有効に対応することはできない。アメリカ国民は、「緊急時に備えて喜んでお金を払って負担を進んで負う」ということについてより真剣に考える必要がある。これは孤立主義ではない。これをウォルター・リップマンは「支払い能力(solvency)」と呼んだ。アメリカが行う事業は利益と資源に合ったものであるが、緊急時に備えて幾分か資源を残しておくというものだ。

色々と書いたが、緊急の、そして寛容な災害援助が日本に行われることは当然のことだ。リビアに対して何を行うかについては多くの疑問があるが、それとは全く異なる。


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原子力発電産業はメルトダウン状態になるか?

スティーヴン・ウォルト(Stephen M. Walt)筆
2011年3月14日
フォーリン・ポリシー(Foreign Policy)誌

日本で発生した地震と津波の破壊の凄まじさにはテレビや新聞でそうしたシーンを見るたびに心を痛めている。読者の皆さんで日本の人々を助けられる方々には是非チャリティにご協力いただきたい。

大災害の直近の被害を伝える記事はたくさんあるが、今日のニューヨーク・タイムズ紙の記事では、大災害が与える、より重要な長期にわたる影響について取り上げている。その影響とは原子力への依存を高めることで地球温暖化に対処しようとしていた計画の縮小ということである。

基本となる計算式は極めて単純そのものである。気候変動に対処する唯一の方法は温室効果ガスの排出を削減することである。そのためには化石燃料の燃焼を削減することが必要だ。自然保護、効率性の向上、風力発電のような「グリーン」・エネルギーの開発によって化石燃料の燃焼を削減できる。しかし、生活水準を相当程度落とさないと温室効果ガスを削減することはできない。将来のエネルギーの需要予測によると、アメリカも含めて多くの国々で原子力による電力供給に依存することになるという予測が出ている。原子力への依存が気候変動への対処の完全な回答という訳ではないが、原子力発電の拡大が制限されると、気候変動への対処は困難となる。

福島第一原発の事故によって、こうした努力が報われず、原子力への依存が後退、もしくは完全に停止する方向へと進んでいる。少なくとも、新しい原子力発電所の建設が認可されることは困難になった。昔からあった迷惑施設への反対(NIMBY objections)にも直面するだろう。建設できるにしてもコストは嵩み、原子力発電の拡大は多くの国々で不可能となるだろう。特にアメリカではそうなるだろう。

このような反応は意味がない。それは原子力エネルギーのコストとリスクは、他のエネルギーのコストとリスクと比較されねばならない。そして、地球温暖化の長期的なコストとリスクとも比較されねばならない。しかし、人間の思考はそのようにできておらず、民主的なプロセスもうまく働かないものである。私たちは、ほとんど起こる可能性がないが、起こると派手な事件や出来事をより懸念する傾向がある。その典型が原子力発電所の事故である。私たちはより大きな危険を日常生活の一部分として過小評価することもある。従って、人々は高速道路での事故やバスタブでの転倒よりもテロリストによる攻撃を心配する。高速道路での事故やバスタブでの転倒の方がテロリストによる攻撃よりも確率はかなり高いにも関わらず、だ。

数多くの人々が亡くなり、多くの財産が失われ、その損害は何百億ドルに達する。日本の大災害による経済的な損失に加え、将来の気候変動によるダメージも起こるだろう。より賢い人々が環境保全の方法と道理にかなった原子力発電の拡大をリードすることになるだろう。もちろん、原子力以外に代替エネルギーも研究されるだろう。しかし、私はそのように予測はするが、そのようになるとは保証しない。

(終わり)
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by Hfurumura | 2011-04-05 12:11 | 日本政治

スティーヴン・ウォルトによる論文「イスラエル・ロビー」5周年についての論文

古村治彦です。

今回は、『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』の共著者の一人、スティーヴン・ウォルト(Stephen M. Walt)による、論文「イスラエル・ロビー」発表5周年で、何が変わったかについての論文をご紹介します。

ウォルトによると、アメリカではタブーとして議論されてこなかったイスラエル・ロビーについて、議論されるようになり、批判も行われるようになったということです。

論文「イスラエル・ロビー」、著書『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』については多くの批判がなされましたが、彼らが望んでいた、イスラエル・ロビーについて議論をするということは始まっているようです。彼らの最終的な目的はまだ達成されていません。これが達成されるかどうかを著者である2人とともに見守っていきたいと思います。

それでは拙訳をお読みください。

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論文「イスラエル・ロビー」が発表されて5年、何かを変えたか

スティーヴン・ウォルト(Stephen M. Walt)筆
2011年3月25日
フォーリン・ポリシー(Foreign Policy)誌

5年前の今週、ジョン・ミアシャイマーと私は論文「イスラエル・ロビー」を「ロンドン・レヴュー・オブ・ブックス」誌に発表した。私たちの目的は、論文(とその後に本)を書くことで、イスラエル・ロビーがアメリカの外交政策に与える影響を議論することはタブーとされてきたがそのタブーを打ち破り、イスラエル・ロビーが人々が自由にそして穏やかに話すことができる話題となるようにすることだった。私たちは、イスラエル・ロビーが作り上げてきた、アメリカ政府との間の「特別な関係」がアメリカとイスラエル(パレスチナには言及しない)に不利益を与えていると確信している。私たちは、イスラエル・ロビーについて開かれた議論が行われることで、アメリカの中東政策がほとんど全ての人々にとってより良いものとなるように願っていた。

私たちの試みは成功したのだろうか?

私たちの論文と本が議論を巻き起こしたことは疑問の余地はない。それは多くの人々の努力のおかげだったし、中東で多くの不幸な出来事が起こったからでもある。私たちは、私たちに対して敵意に満ちた批判をしてきた人々に対して感謝している。彼らは、私たちの論文や本の内容が誤りであるとし、私たちを反ユダヤ主義者であると指弾してきた。彼らのこうした努力は、私たちの主張の多くが正しかったことを証明している。私たちはこうした反応が起こることを予想していたので、全く驚かなかった。しかし、残念だったのは、議論の最初の段階で、現実に即した主張ではなく、多くの誤った批判がなされたことだった。

初期にはあまりにも的外れな主張が行われたが、イスラエル・ロビーとその影響力についての議論は 、アメリカの一部でしか行われていなかったものが、主流のメディアでも行われるようになってきた。ジョン・スチュワート、アンドリュー・サリバン、グレン・グルーンウオルド、デイビッド・レムニック、ニコラス・クリストフといった人気のコメンテーターたちが書いたり話したりしたものを読めば、彼らがアメリカの中東政策におけるイスラエル・ロビーの影響を認めていることは分かる。ニューヨーク・タイムズ紙やロサンゼルス・タイムズ紙のような大新聞の編集委員たちは、アメリカ政府に対し、イスラエルへもっと強硬な態度で臨むように求めている。アメリカの中東政策に関する記事で、「イスラエル・ロビー」が重要な存在であると言及されることが多くなった。そして、
イスラエル・ロビーに対する批判も見られるようになっている。デイビッド・フラムのような強硬なネオコン派たちでさえイスラエル・ロビーに属する団体の強力さを認めるようになっている。サラ・ペイリンは、共和党ユダヤ連盟(Republican Jewish Coalition)からの支援を受けずに単独でイスラエルを訪問した。それに対して、フラムは、彼女の選択は間違いで受けられるはずの政治的な利益を受けられないだろうと批判した。私たちの本と記事だけで議論の方向性が変わった訳ではないのは確かだが、一定の役割を果たしたのは間違いのないところだろう。

私たちが本を書いた時、私たちは、アメリカ国内、特にユダヤ系アメリカ人社会の親イスラエルの人や団体が私たちの本を読んで、自己反省をしてくれることを願った。それは何故か?利益団体はアメリカの民主政治体制で中心的な役割を果たしており、アメリカの行動に大きな影響力を持つ利益団体の態度や行動を変えることでアメリカの対イスラエル政策は変えることができるからだ。

私たちは本の中で新しい「イスラエル・ロビー」が必要だと書いた。私たちの主張する、新しいイスラエル・ロビーとは、イスラエルとアメリカの長期利益を実現するための政策を主張するものだ。私たちは繰り返し強調しているが、問題は、イスラエルの利益のために活動する強力な利益団体が存在しないということではない。問題は、利益団体が誤った政策志向を持つ個人や組織によって支配されているということだ。より賢い政策を志向する「親イスラエル」の強力な利益団体が出現することを私たちは待ち望んでいる。

(終わり)
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by Hfurumura | 2011-04-04 15:16

プレストウィッツによるアメリカの経済成長は危うい論

古村治彦です。

本日は、クライド・プレストウィッツによるアメリカの経済成長はごまかしであるという論文をご紹介します。

現在、アメリカは通貨安(ドル安)による輸出主導によって経済成長をするという路線を取っています。そして、その効果が出て、2010年、アメリカの対外輸出は増加しました。これだけ聞くと、オバマ大統領が掲げた輸出倍増という目標はうまくいっているようです。

しかし、アメリカは輸出以上に輸入が増加し、貿易赤字は増加しています。プレストウィッツはこのことに警鐘を鳴らしています。

この論文はアメリカの経済について書かれていますが、物事の見方についても教えてくれる内容になっています。

それでは拙訳をお読みください。

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大いなる「輸出によるごまかし」(The great export dodge)

クライド・プレストウィッツ筆
2011年4月1日
フォーリン・ポリシー誌(Foreign Policy)

私はアメリカの輸出に関する素晴らしいニュースをそのまま手放しで喜ぶことはできない。今週月曜日(2011年3月28日)、「ウォールストリートジャー
ナル」紙はアメリカの「輸出主導の経済再成長」が外国で起きている大きな事件によって鈍化するのではないかという懸念を表す記事を掲載した。アメリカ・中
国評議会は、アメリカの対中輸出について右肩上がりで伸びており、オバマ大統領が掲げた輸出倍増の目標が実現しそうだというメッセージを出した。こうした
記事やメッセージを読んでいると、グローバル・ワークスという団体から私にEメールが届いた。その内容は、「2010年アメリカの輸出は17パーセント、
2650億ドル(約21兆2000億円)分増加した。輸出の増加分は、2010年のアメリカのGDPの成長分の半分を占めるものだった」というものだ。

「輸出主導の経済成長(export-led growth)」という用語はアメリカでは半世紀も前に消えてなくなった。それでも私はアメリカの輸出主導の経済成長戦略の
実行を長年求めてきた。だから、私はこの状況を喜ぶべきなのかもしれない。それなのに私は素直に喜べない。それどころか、私はこうしたニュースが信じるに
は中身があまりにうま過ぎると感じている。それは何故かについての理由をこれから書いていく。

その理由の一つとして、アメリカの輸入の状況について報道がほとんどなされていないという点が挙げられる。2008年の世界大不況以降、アメリカの慢性的な
貿易赤字は増え続け、過去1年間で見ても増加している。そして現在の貿易赤字の総額は現在のGDPの3パーセントを超えるレベルにまで膨れ上がっている。
多くの経済学者たちはこの状態を持続可能だと考えている。それはアメリカが抱える貿易赤字が持続不可能なレベルにまで膨れ上がると、世界でもう一度経済
危機を起こしてしまうという状況に私たちがあるとも言える。

この矛盾は大きな問題であり、私はこの矛盾を「輸出のごまかし(the export dodge)」と呼んでいる。現在の国際貿易システムとグローバライゼーションの
主導者たたちは貿易赤字と輸入について議論したくないと考えている。それはこうした議論をすると現在のシステムが依拠している諸理論や前提の正当性に
ついて、自分たちが答えられない疑問が次々と生み出されてしまい、現在のシステムは現在のアメリカ経済に不利益を与えている可能性について議論しなくては
ならなくなるからだ。従って、アメリカの輸出について大々的に報道され、強調されているのだ。オバマ大統領も貿易赤字の解消について語りたくはないはずだ。
だからオバマ大統領は輸出の倍増ばかりを訴えているのだ。現状を維持しようとする人々はアメリカの貿易パートナー諸国の重商主義的な行為や慣習、またこう
した行為に対抗するための「保護主義的な」方法について人々が関心を持たないようにしたいと考えている。従って、彼らはアメリカの輸出が順調に伸び、経済
成長に貢献しているということばかり強調している。

もちろん、輸出が倍増するのなら喜ばしいことだ。しかし、オバマ大統領や現状維持を望む人々が輸入が輸出を上回り続けるということを国民に知らせようと
しなければ、私たちは新たな経済危機に晒される可能性が高くなる。

ニュースの見出しの裏にある数字について見ていこう。この数字こそが状況がどうなっているかを教えてくれる。

2010年、アメリカの輸出は、2009年比で2650億ドル(約21兆2000億円)、約17パーセント増加した。財の輸出は2110億ドル(約16兆
9000億円)も増加し、サービスの輸出は430億ドル(約3兆4400億円)も増加した。アメリカの輸出増加分はアメリカのGDPの1.34パーセント
に相当し、この分だけGDPを押し上げたことになる。国際貿易システムがアメリカ経済に利益をもたらしてくれたのなら、輸出の増加は素晴らしいし、健全
だと言える。

しかし、私たちは公式のもう一方を見なくてはいけない。2010年、アメリカの輸入は3850億ドル(約31兆円)分増加した。財の輸入は前年比で20
パーセント、3600億ドル(約29兆円)増加し、サービスの輸入も250億ドル(約2兆円)増加した。この結果、アメリカでは輸入の増加分が輸出の増加
分を1200億ドル(10兆円)も超過し、アメリカの貿易相手国に対する巨額の国際収支の赤字が増加した。主要な貿易相手国は巨額のドルとアメリカ国債を
保有している。

純輸出は赤字であるという事実は、貿易がアメリカのGDPの成長に対して麻薬のような役割を果たしていることを示している。輸出ばかりを強調することは
誤りであることも、純輸出が赤字であることが示している。実際には状況は少しだけ複雑である。正しい答えを得るためには何が輸入されて、何が輸出されてい
るか、そして輸出される財やサービスの中でどれくらいの割合でアメリカ国内で代替できるかということを見ることだ。

しかし、明らかなことは輸入や貿易収支について言及せずに、輸入について語るのは現状を間違って認識させ、危険を伴うということだ。特に、アメリカの財政
赤字を増やすことなく失業率を減らすためには貿易赤字を減少させるしか方法はない。貿易赤字を減少させるには輸出が輸入を上回るようにすることだ。その
ためにはいくつかの方法がある。輸入を減らし輸出を増やすのが第一の方法だ。それ以外にも輸出をそのまま、もしくは増加させて輸入を減らすのが第二の方法
だ。その際に輸出が輸入を上回ることが重要だ。しかし、やってはいけない方法は輸出ばかりに目を向けて輸入について無視をすることだ。

この文章で私が言いたかったことは、貿易についての答えるのが難しい疑問や質問から逃げ回るのを止めるのは今だということだ。

(終わり)
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by Hfurumura | 2011-04-04 00:43 | アメリカ政治