翻訳、評論の分野で活動するSNSI研究員の古村治彦のブログ
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『ネクスト・ルネサンス』のご紹介

副島隆彦の“予言者”金融セミナー第2回『大災害から復活する日本』発刊記念講演DVD

副島 隆彦 / 成甲書房



ネクスト・ルネサンス 21世紀世界の動かし方

カンナ,P. /



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2011年9月11日付 毎日新聞

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20110911ddm015070009000c.html

●「今週の本棚:本村凌二・評 『最強国の条件』/『ネクスト・ルネサンス』」

 ◇『最強国の条件』=エイミー・チュア著、徳川家広訳(講談社・2940円)
 ◇『ネクスト・ルネサンス』=パラグ・カンナ著、古村治彦訳(講談社・2310円)

 ◇ゆらぐ国民国家の権威に代わるもの

 ノンポリの楽天家にも、この世に住むかぎり、行く末の彼方を見据えておきたくなるもの。ときには、地球規模の近未来を憂える気分にもなる。しかも、うってつけの若い論者が二人もいるからには、耳を傾けたくなる。

 中国系アメリカ人チュアは、有史以来の最強国(ハイパーパワー)がいかにして興隆し、やがて衰退していったかを執拗(しつよう)に探求する。だが、彼女の議論はいたって単純明快である。

 ペルシャ帝国、ローマ帝国、唐帝国、大モンゴル帝国、オランダの世界覇権、オスマン帝国、明帝国、ムガール帝国、そして大英帝国のいずれをとりあげても、その興隆期には寛容さがある点に注目する。それぞれの言語、宗教、法慣習、通商などで征服者の流儀を強要することはなかった。そのために出身地を問わず出世できたし、人材が集まるのである。

 最強国の典型ともいえるローマ帝国では、征服した民もローマ文化に吸収同化されてしまう。ガリア人もいつのまにかズボンをはかなくなり、長寛衣(トーガ)を着用してラテン語を口にする。さらに、自由民のすべてをローマ市民として受け入れる。これらの絆のおかげで、ローマ帝国は驚くべき持続力をもったのである。

 逆に、遊牧民をはじめ蛮夷(ばんい)の民を寛容に迎え入れた唐朝の中華帝国だが、市民権の観念はなく、持続する絆を生み出すにはいたらなかったという。著者の出自もあって、観察の眼は的確である。

 大英帝国は、統治の要をローマ人から学んでいる。ユダヤ教徒もカルヴァン派のユグノーもスコットランド人も迎え入れ、そのおかげもあって連合王国は七つの海の覇権をにぎった。だが、非白人に立ち向かうとき、人種の壁に突きあたる。英領インドの興亡は寛容さが失われていく歴史でもあった。

 実のところ、著者の眼目は歴史に学びつつ将来を見通すところにある。移民国家アメリカはまぎれもない最強国になった。だが、その覇権はゆらぎつつある。ソ連の崩壊以来、独断専行が目に障り、国外の反米感情に対処できないでいる。はたして中国、EU、そしてインドがのし上がっていくのか。アメリカは、信頼を回復し、優れた人材が集まる磁場であるべきだ、と著者は唱える。経済力・軍事力に勝るだけではなく、環境、災害、難民などの問題であっても、他国と連携しながら強力な指導力を発揮する以外に道はない。

 インド系アメリカ人のカンナは、そもそも二一世紀における国家の役割について懐疑的である。国境はもはや生存の防衛線というよりも障害となりつつある。エネルギー資源、水資源、食糧不足、気候変動、感染症流行災害などいずれをとっても国家という枠で処理できることではない。

 緊迫する事態のなかで、動きの鈍い国家にはそれほど期待すべきではないのかもしれない。それよりも、企業を率いるリーダーたち、大都市の首長たち、それらを支援するNGOなどが二一世紀を動かす、と予言する。現代は諸勢力が乱立する中世に似ており、新しい(ネクスト)ルネサンスが待たれるのだ。

 メディチ家の資金援助で、フィレンツェの大聖堂が建造され、偉大な芸術家や科学者が保護され、探検調査の遠洋航海に派遣されたことを思い出せばいい。B・ゲイツ、G・ソロス、R・ブランソンなど、CEO兼政治家のような人物が期待の星なのだという。彼らは官民分立を巧みにつないでくれるからだ。

 現実の世界を動かすには外交が必要だが、主権国家と国際機関だけが担い手ではない。世界規模の危機に対処するには、トップダウンではない新しい外交の形を創り出さなければならない。それこそが、地域からのボトムアップを重んじ、民間の活動を組み込む「巨大化する外交(メガ・ディプロマシー)」である、と著者は主張する。

 いやはや世界は混沌とした時代になってきた。だが、いつだって混沌としていたような気がしないでもない。というよりも、その時代なりの「権威のゆらぎ」があるのではないだろうか。

 二〇世紀初頭の大学者M・ウェーバーの書は大学生のころ学んだものだが、この巨人の予言するところでは、二〇世紀には官僚制が避けがたい宿命だという。ソ連の崩壊までそれは見事なほどに的中していた。それとともに、グローバル化する世界にあって官僚制国家の権威がゆらぐ御時勢になったことは確かだろう。世は覚悟を決め資力を備え実行力のある英雄が切り開く時代になっているのかもしれない。カリスマの率いる世界、ふたたび洞察力あふれるウェーバーの声が響いてきそうだ。

 ローマ人は「権威をもって統治する」を旨とした。国民国家の権威が剥(は)げ落ちつつあるなかで、両者の主張は相反するように見える。最強国の再編か、実力者の指導力か、いずれにしろ、混沌とした世界にかすかなあかりが燈(とも)るには燈る。

毎日新聞 2011年9月11日 東京朝刊

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 原題は、How to Run the World: Charting a Course to the Next renaissanceです。著者のパラグ・カンナは、1977年生まれの34歳。本作はカンナ氏の第二作となります。彼のデビュー作『「三つの帝国」の時代 アメリカ・EU・中国のどこが世界を制覇するか』(玉置悟訳、講談社、2009年)は、副島隆彦先生が帯に推薦文を書かれている本で、皆さまの中にもお読みなった方が多くいらっしゃると思います。

 原著は2011年1月に発売になり、その少し前から翻訳作業はスタートしました。途中、東日本大震災が発生し、予定が少し狂ってしまいました。このように本が刊行できたことは訳者として大変な喜びです。また、カンナは大震災発生後、日本の読者の皆様のために丁寧な前書きを書いて送ってくれました。「日本は必ず復活できる」「日本は世界で最初にその一日を迎える国だ。日本は常に世界が経験したことのない不幸な出来事に直面してきたがそれらを乗り越えてきた」という前書きの内容は、読者の皆様に対する激励になっています。

 カンナの第二作の『ネクスト・ルネサンス』について簡単にご紹介したいと思います。

 本書の中で、カンナ氏は、21世紀に入った現在が1000年前の中世時代によく似ていると主張しています。特に、アメリカの力(パワー)が衰退し、世界を支配する超大国がない状況、並びに国民国家の力が落ちてきている状況に置いて、様々なアクターが世界統治のために能力を発揮し、活躍していると主張しています。そのアクターは多岐にわたり、トヨタやGEのような多国籍企業、NGO(非政府組織)、大学、教会、各都市、ハリウッド俳優やロックシンガーのような有名人たちが挙げられます。簡単に言うと、これまでアメリカが支配してきた国家を中心にして動いてきた世界が崩壊し、個人や団体が世界規模で能力を発揮し、世界を動かしているということになります。

 カンナは、現代世界を動かすのは「外交(diplomacy)」だと主張します。そして、これからの外交は、これまでの外交官たちが独占してきた古い外交ではなく、新しい外交が行われるべきだと主張しています。それが「メガ・ディプロマシー(Mega Diplomacy、巨大化する外交)」という考え方です。これは、これまで外交の世界に関与できなかった多くのアクターたちが分業して外交に参加し、世界を動かしていくというものです。有名人が世界規模の諸問題を世界中に提起する、あるいは、NGOや多国籍企業が問題解決のために動くというものです。

 現在、アイフォンやアイパッドを使えば世界中どこにいても人々とつながり、コミュニケーションがとれる時代となりました。こうした技術の進歩によって、外交は、多くのアクターたちに「開放され」ました。カンナは一般の私たちも外交官のような働きができると主張しています。中東での民主化の動きやウィキリークスなどはこうした時代の象徴と言えるでしょう。

 カンナは、「テロリズム」「人権」「貧困対策」「環境保護」といった多くの国際問題に対処するために公的機関と民間部門の協働の重要性も主張しています。これがメガ・ディプロマシーの考え方なのですが、外交に、これまで外交に参加できなかったアクターたちが参加することで、世界が直面する諸問題を解決しようということなのです。こうした公的機関と民間部門の協働は、外交だけではなく、様々な場面で必要となってきています。今回の東日本大震災では、公的機関、具体的には政府や地方自治体だけでは災害後の救援や復興に限界があること、民間の力、多くの団体や個人の参加が必要であることが明らかになりました。「政府が何でもやってくれる」「民間が出る幕ではない」という、これまで日本でよく聞かれた考えは時代遅れのものとなりました。これは世界的傾向でもあります。

 そのことをカンナは本書『ネクスト・ルネサンス』で書いています。

 本書『ネクスト・ルネサンス』の中で、重要なカンナの主張に「国境線を引き直す」というものがあります。世界の多くの国々は植民地から独立しました。その際、旧宗主国によって恣意的に引かれた境界線を国境線としました。この国境線が中東、アフリカ、中央・南アジアの各地域の紛争の原因となり、これらの地域に存在する国々を苦しめているのが現状です。

 これに対して、カンナは国境線を引き直す、もしくは国内の不安定要因になっている少数民族は独立させるべきだと主張しています。スーダン南部のキリスト教徒、トルコ、イラク、イランに住んでいるクルド人、アフガニスタンとパキスタンの国境地域に住んでいるパシュトン人といった人々は国家を持つべきだと主張しています。カンナは常々、世界は300の国々に分かれれば平和になると主張しています。また、「国境線などよりも、鉄道と石油や天然ガスのパイプラインで国々をつなぐことが重要だ」とも主張しています。

 副島隆彦先生が出された中国に関する本の中で、高速道路や鉄道、石油のパイプラインを中国から内陸の中央アジア諸国につないでいる様子、中国の西部(内陸部)開発の様子が写真付きで描かれています。国境線をめぐって不毛な争いをする時代は終わりつつあり、鉄道、高速道路、パイプラインでつながっていく時代になっているということが本書『ネクスト・ルネサンス』を読むと良く分かります。

 これまで私が書いてきました『ネクスト・ルネサンス』の内容の紹介を読んで、「リベラルで理想主義的な(空想の)話か」と思われた方々も多いと思います。しかし、カンナのポジションを考えるとあながち夢想家の本とは言えません。カンナは現在、ニューアメリカ財団の上級研究員をしています。またブルッキングス研究所の研究員も兼任しています。

 彼は、外交評議会(CFR)の会員でもあり、世界経済フォーラムが選ぶヤングリーダーでありダボス会議には毎年出席しています。若き世界エリートの一人であると言えます。本書の訳者あとがきでも書きましたが、カンナはオバマ大統領の選挙戦の時の外交政策立案チームに参加していたこと、またCFRの会員であることから、ズビグニュー・ブレジンスキーとの関係が深いと考えられます。この点から、彼が本に書いて発表することは、ただの理想論や空想の話ではなく、アメリカの外交政策や世界の将来のための実現可能な提案なのです。

 カンナはこれまで世界100カ国以上を実際に訪ね、様々な人々に会い、話を聞いて自分の知識を構築しています。そうした現実に即した知識に基づいて本書『ネクスト・ルネサンス』は書かれています。この本は、一言で言うならば、「リアリスティック(現実的)なリベラルである若き世界エリートの世界を動かすために提案した青写真・設計図」ということになります。世界がこれからどのように動いていくのか、その時に自分はどのように動けば良いのかということについて大変示唆に富んだ本です。是非、手にとってお読みください。よろしくお願い申し上げます。
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by Hfurumura | 2011-09-11 14:37 | 宣伝

人類学内部の対立について

今回は、いつもと毛色を変えて、人類学についての文章をご紹介したいと思います。

副島隆彦の“予言者”金融セミナー第2回『大災害から復活する日本』発刊記念講演DVD

副島 隆彦 / 成甲書房



ネクスト・ルネサンス 21世紀世界の動かし方

カンナ,P. /



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昨年の話で古くなってしまいましたが、アメリカの人類学会がある公式な宣言文の中から「科学(science)」という単語を削除しました。その代わりに「一般の人々の理解を深める」という文言が入れられました。

人類学会には大きく分けて2つのグループ、派閥があります。科学として研究を追求する派と研究対象の部族や人々の生活の問題に取り組むべきとする派です。

これら2つの派閥の争いが人類学会に分裂を招いているのは確かなようです。

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●「人類学は科学だろうか?ある宣言が争いを激化させている(Anthropology a Science? Statement Deepens a Rift)」 

ニコラス・ウエイド(Nicolas Wade)
2010年12月9日付 ニューヨークタイムズ紙

http://www.nytimes.com/2010/12/10/science/10anthropology.html

人類学者たちは、自分たちが所属し研究している人類学の性質と未来について混乱状況に陥っている。混乱のきっかけは全米人類学学会(American Anthropological Association)の2010年年次総会において、「長期計画に関する宣言」の中から「科学」という言葉を削除したことだ。

この決定は長年にわたりくすぶっていた、2つのグループの間の争いを再燃させた。人類学の世界には、科学を基盤とした人類学の諸分野である考古学、形質人類学、文化人類学の派閥と、人種、民族、ジェンダーを研究する学者たちの派閥がある。後者の派閥の人々は自分たちを原住民の抱える問題や人権問題を解決するための主導者、活動家であると考えている。

ここ10年、人類学の世界では2つの派閥が激しく争ってきた。そのきっかけは政治的な活動を志向する派閥が、ヴェネズエラからブラジルにかけて住んでいるヤノマノ族に関する研究を攻撃したことである。この研究は、科学志向の人類学者ナポレオン・チャグノンと遺伝学者のジェイムス・ニール(2000年に死去)によって行われた。この争いが残した傷はいまだに癒えず、科学志向の人類学者たちの多くは、先月、人類学会が長期計画の宣言文を変更し、人類学を科学として発展させるのではなく、「一般の人々の理解」を深めることを選択したことを知り、狼狽した。

現在に至るまで、全米人類学学会の長期計画は、「人類学は、人類をすべての面で研究する科学」だとしてきた。先月、全米人類学学会の執行部はこの長期計画を見直し、「全米人類学協会の目的は人類に関する一般の人々の理解を促進することだ」と修正した。この長期計画には人類学に含まれる学問分野のリストが掲載され、その中には政治調査研究も含まれている。

「科学」という言葉は、「長期計画に関する宣言」から後2か所削除されている。

全米人類学学会会長のヴァージニア・ドミンゲス(イリノイ大学)は、私たちの取材に対するEメールでの返事の中で次のように書いている。「科学という言葉を外したのは理事会で、自分たちの仕事を科学の範囲内に位置づけない人類学者たちも含めて宣言文を出そうと決めたからです。もちろん科学の範囲内に位置づける人々を宣言文では含んでいます。宣言文は、理事会に素晴らしい提案があれば修正されるものです」

ドミンゲス博士は、「新しい長期計画宣言は、全米人類学学会の『目標に関する宣言』とは異なります。この「目標に関する宣言」について変更はありません」と語っている。「目標に関する宣言」では、人類学を科学であるとしている。

全米人類学学会の傘下の人類学関連諸科学協会会長(Society for Anthropological Sciences)のピーター・ペレグリンは、会員たちに送ったEメールの中で次のように書いている。「全米人類学学会内で提案されて実現した変化はアメリカの人類学を傷つけるものである。私たちの考えを明確にし、全米人類学協会の会員たちに知らせなければならない」

ウィスコンシン州のローレンス大学で教鞭を執るペレグリン博士は、私たちとのインタビューで次のように語った。「科学という言葉を削除したことで2つの派閥の間での緊張感が高まってしまい、2つの派閥の間の関係は修復不可能になってしまいました。理事会が文言を元に戻しても、もう元には戻りません。今回起きたことは、籠の中に閉じ込めていた猫を外に出したら、部屋中を走り回って家具という家具に傷をつけたようなものなのです」

ペレグリンは人類学協会で起きた変化を科学に対する攻撃だと考えている。そして、人類学において大きな影響を与えている2つの流れがあるとしている。1つの流れは、批判人類学を信奉する人類学者たち(critical anthropologists)である。彼らは、人類学を植民地主義の武器として捉え、人類学の植民地主義的な要素を取り除くことを目指している。もう1つの流れは、ポストモダンを信奉し、科学の権威を批判している(postmodernist critique of the authority of science)人類学者たちである。ペレグリンは、「こうした動きは、合理的な主張や思考を否定することを基盤としている創造説(creationism)のようなものだ」と書いている。

ドミンゲス博士は批判人類学とポストモダンを信奉している人類学者たちの考えが新しい宣言文に影響を与えたことを否定している。ドミンゲス博士は私たちの取材にEメールで回答を寄せた。その中で、科学志向の人類学者たちは、長年、科学志向ではない同僚たちの存在を憂慮し、否定的であったと語っている。ドミンゲス博士は、「ある人々を少数派に追いやったり対立したりするのは楽しくて何度でも経験したいという類のものではない」と述べている。

(終わり)

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読者からの投稿コーナー(The Opinion Pages)

●投書:「科学の定義(The Definition of Science)」(2010年12月13日掲載)

http://www.nytimes.com/2010/12/14/opinion/l14anthro.html?scp=3&sq=anthropology%20a%20science?&st=cse

編集部へ

「人類学は科学だろうか?ある宣言が争いを激化させている」(2010年12月10日付の記事)への反論

全米人類学学会の旗艦誌である『アメリカン・アンソロポロジスト』誌の編集責任者として、私は、今回の「科学」という言葉の、長期計画宣言からの削除は、人類学の世界の争いを激化させることはないし、誤解を深めることはないと考えている。

私は全米人類学学会が「科学」という言葉を削除したことを再考してくれる、と希望を持っている。それは人類学が科学の定義を拡大することに貢献してきたからだ。科学は何も実験室だけで行われるものではなく、フィールドでも行われるものだ。何回も同じ手順で行われる実験(experiments)だけではなく、同じことを繰り返すことは不可能な観察(observation)も科学研究の手法に含まれる。人類学だけが科学と言うこともなく、動物学や天文学といった幅広い学問分野も科学なのである。

双眼鏡(訳注:科学的方法の象徴)の調整は正しい知識を得るために大変重要である。それと同じくらい重要なのは、コロニアリズムの科学(人類学だけではなく)に対するインパクトを理解することによって、概念の範囲を測定することだ。そして権威に対する様々な要求によって知識は形成されていく。

概念の範囲をしっかり測定することと決めることは、科学をより科学たらしめる。

問題は、「派閥間の争い」ではなく、聞き間違いとそれによる誤解である。私たちは敵対心が渦巻く時代に生きている。その中で、私たち人類学者は、職業を通じて身に着けた「注意深く人の話を聞く」というスキルをお互いに理解のためにより効果的に使わなければならない。そうすることで、人類に関する科学の発展と一般の人々の理解を深めるという二つのことが可能となるのだ。

トム・ボエルストーフ
カリフォルニア州アーヴァイン
2010年12月10日

投稿者はカリフォルニア大学アーヴァイン校の人類学教授である。

(終わり)
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by Hfurumura | 2011-09-09 17:35 | 学問

マイケル・グリーンによる野田新首相に対する祝辞

副島隆彦の“予言者”金融セミナー第2回『大災害から復活する日本』発刊記念講演DVD

副島 隆彦 / 成甲書房



ネクスト・ルネサンス 21世紀世界の動かし方

カンナ,P. /



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2011年8月30日、国会で野田佳彦氏が総理大臣に指名されました。現在、党役員人事が決まり、組閣に向けて調整が行われているようです。

野田新首相の誕生に、本人と同じくらい喜んでいる人物が文章を書いていましたので、お知らせしたいと思います。それは、ジャパン・ハンドラーズとしておなじみのマイケル・グリーン
による文章です。以下に拙訳を掲載します。

グリーンは野田氏が保守派であることを理由に褒めちぎっていますが、何より重要なのは、強調されている段落です。「私たち日本操り班にとって邪魔な小沢一郎に勝ったぞ!増税とTPPを一気に進めることができるぞ!」というマイケル・グリーンの喜びの声が聞こえてきそうな文章です。

アメリカの日本操り班にこんなに喜んでもらえる野田新首相、先行きは不安だらけであることが良く分かります。

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「日本の新首相は“正しく右寄りに”踏み出そうとしている(Japan's new prime minister is a step in the right direction)」

フォーリン・ポリシー誌(Foreign Policy)
2011年8月29日
マイケル・J・グリーン(Michael J. Green)

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ワシントン・レッドスキンズ(訳注:アメリカンフットボールのプロチーム。本拠地がワシントンDC)はクォーターバック(訳注:アメリカンフットボールで攻撃の司令塔のポジション。花形のポジションである)をとっかえひっかえすることで有名である。そのワシントン・レッドスキンズのクォーターバックよりもしょっちゅう交代するのが、日本の総理大臣である。この日本の総理大臣がまた変わった。野田佳彦が民主党の代表に選ばれ、まもなく国会で日本の総理大臣に指名されるだろう。この5年間で6人目の総理大臣となる。新首相が誕生するからと言って心が浮き立つものがないのはそのせいである。

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野田新首相の前途にはいくつかの高いハードルが待ち受けている。およそ20年以上にわたる日本経済の低迷。政権を奪取して2年も経つがいまだに政策の実行力を見せられない民主党。参議院では野党が多数を占めており政権運営が手詰まりの状態であること。日本の有権者たちが政治家たちに対して、アメリカの有権者たちに比べて、より冷笑的でかつ否定的な態度を取るようになっていること。日本の政治を分析する人々の多くは、2013年までには行われるであろう総選挙で物事が動かない限り、こうした状況は続いていくと見ている。

しかし、私は野田新首相の誕生についていくつか期待していることがある。野田は国家安全保障に関してれっきとした保守派である。野田は安倍晋三元首相や前原誠司(野田の盟友であり菅内閣の外務大臣だった)の系統に連なる。前原は今回の民主党代表選で野田と戦い、敗れている。野田の父親は陸上自衛隊に勤務した自衛官だった。野田が民主党所属の政治家にしては珍しく日米同盟や防衛問題に強いのは父親の影響もある。中国と韓国の新聞各紙は野田新首相の誕生に懸念を表明している。彼らは野田が、安倍元首相や日本の右派が行ったのと同じく、極東軍事裁判の正統性に疑義を示したことに不安を感じている。しかし、私はこの点に関してあまり不安を感じていない。野田は慎重な現実主義者として知られ、安倍が総理大臣になった時と同じように中国と韓国に接するだろう。安倍がとった方法は、日本版のニクソン訪中と呼べるものだ。

野田は自由貿易主義者であり、環太平洋パートナーシップ(TPP)への参加を支持している。また財政の面では保守主義者であり、健全な財政を求め、税制の抜本的な改革のの一環としての消費税の増税を主張している。最も素晴らしいことは野田が民主党の実力者である小沢一郎に媚びへつらうことを拒絶して民主党代表選に勝利したことだ。小沢は党内の国際主義者たち(internationalists 訳注:アメリカの利益になるように行動するグローバリストのこと)の邪魔ばかりしてきた。小沢は汚職で告発され、党の代表から退くことになった後でも、干渉を続けている。

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民主党初の総理大臣となった鳩山由紀夫は、夢見がちなポピュリストだった。彼は触れるものほとんど全てをダメにした。鳩山の後継総理となった菅直人は運がなかった。菅直人はポピュリスト的な政策が満載だった2009年の民主党マニフェストに固執しなかったが、人々の理解を得ないままにマニフェストの見直しを行った。また菅内閣は政策課題に関して人々の理解を得ることもできなかった。野田はまじめに政策に取り組み、日本が前進するために必要な政策をきちんと主張し続けてきた。日本の政治システムはいまだに機能せず、ゴミのようなものだが、少なくとも総理大臣の質は改善されつつある。

(終わり)
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by Hfurumura | 2011-09-01 13:51 | 日本政治