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翻訳、評論の分野で活動するSNSI研究員の古村治彦のブログ
by Hfurumura
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小沢一郎を城山の西郷隆盛にしてはいけない



この週末で、菅直人政権の閣僚人事、党人事が決定しました。閣僚はほとんどが継続留任し、党内人事は大きく変更される模様です。下の記事にあるように、細野豪志氏、樽床伸二氏を起用することで、一応の「党内融和」を演出しようとしていますが、実際には、露骨な小沢一郎氏や小沢一郎氏に近い議員グループ切りです。選挙対策委員長に安住淳氏が内定しています。玄葉光一郎氏は、復活する政策調査会の会長と、「政策の与党・内閣一元化」という大義名分の下、無任所の国務大臣として入閣すると予想されています。

私は、ここ約8カ月の政治の動きは、明治維新に似ている、という思いを大変強くしています。そして、小沢一郎という人物が西郷隆盛に大変よく似た立場にいると思います。昨年8月30日の総選挙で、それまで長く日本の政治を与党として支配してきた自民党を、鳩山由紀夫氏率いる民主党が破りました。鳩山氏は代表でしたが、選挙戦を最前線で戦ったのは、小沢一郎氏と、小沢氏に育ててもらい、忠誠を誓う議員たちや秘書たちでした。明治維新の鳥羽伏見の戦いを実際に指揮し、戦ったのは、西郷でありました(もちろん各藩の武士たちが最前線で死闘を繰り広げました)。

明治維新と2009年8月30日の総選挙の勝利は、共に日本政治の大きなターニングポイントであり、まさに革命と言えると思いますが、それぞれの革命を率いたのが、西郷隆盛であり、小沢一郎でありました。

明治維新が成立後、西郷は参議・陸軍大将(一人だけ)となりました。明治政府樹立の立役者として絶大な影響力を持つようになりました。西郷は「清新な政府」、「攘夷を掲げて討幕をしたのだから外国からの影響を排除する」ことを考えていたようです。

しかし、長州出身の伊藤や井上馨たちは、いわゆる「長州ファイヴ」としてイギリスに留学し、すでに攘夷などという考えは全く持ち合わせていませんでした。品川でアメリカ公使館を焼き打ちした人々が、なぜかイギリスに留学し、英語で日記を書く(伊藤博文が英語で書いた日記は残っています)ようにまでなっています。

明治の元勲・大久保利通は、西郷の竹馬の友であり盟友、薩摩藩の過激派組織「精忠組」の領袖でありました。明治政府では大蔵卿となり、その後、岩倉使節団に加わってヨーロッパとアメリカを歴訪しました。そこで日本を近代国家とするために、産業の近代化を急ぐ決意を固めたと言われています。しかし、これは簡単に言ってしまうと、外国勢力に半分取り込まれてしまったということだと思います。そして、盟友・西郷隆盛を裏切ったのだと思います。

西郷は、留守政府のリーダーとして朝鮮との関係樹立に対応していました。西郷は自分が外交特使となって朝鮮に向かい、礼を尽くして交渉するとだけ言っていたのに、「いつのまにか朝鮮に出兵して懲らしめてやる(征韓論)」のリーダーだということにされてしまいました。岩倉具視や大久保らは反対したと言われています。しかし、彼らの流れこそのちに朝鮮併合を成し遂げた人々でありました。

明治政府内で失脚した形になった西郷は役職を全て離れ、故郷鹿児島に戻りました。そこで隠棲していれば良かったのですが、鹿児島にいた不平士族たちが明治政府の策動により爆発。政府の弾薬庫を襲い、反乱を起こしました。西郷は、彼らに引きずられるようにして反乱の頭目に祭り上げられ、西南戦争を起こし、最後には城山で自刃して果てます。

小沢一郎氏は、総選挙後、幹事長を留任し、加えて、党と内閣の政策一元化のために入閣するという提案もなされました。しかし、小沢氏支配が強まるという論理性の伴わない、感情論での批判が相次ぎ、入閣は取りやめにになりました。民主党は、政治主導、官僚組織改革、そして国民の生活のために積極的な財政出動を行おうとしました。実際に、いくつかの政策は進みました。しかし、民主党七奉行と呼ばれる実力者たち(その多くが鳩山内閣で入閣しました)は、最初のうちは理想を語り、
マニフェスト通りの施策を実行としようとしました。しかし、閣僚たちから次々と官僚たちに取り込まれていきました。

一時期は、鳩山・菅・小沢のトロイカ体制とまで言われた、菅直人氏も、副総理兼国家戦略担当大臣として入閣し、古川元久内閣府副大臣に籠絡されていきました。財務大臣になってからも「増税による成長」、「金融政策によるデフレ収束」など、財務官僚の口うつしの政策を堂々と語るようになりました。私は、民主党の実力者たちが次々と籠絡していったことを、毒が捲かれ、菌に侵され、ゾンビになったと書きました。

鳩山首相自身も、最初は威勢の良いことを並べ立てました。その中で特に大きかったのは、普天間基地の県外・国外移設を掲げたことです。しかし、これも閣僚たち(特に岡田外相、北沢防衛相)と官僚組織の妨害に遭い、頓挫してしまいました。鳩山首相は追い込まれました。そして、民主党実力者たちに協力して、「政治とカネ」の問題にすり替えて小沢氏を幹事長職から退かせました。鳩山氏は、「基地問題で敗れ去ったアホなリーダー」ではなく、「政治とカネの問題で悪の元凶・小沢一郎
と差し違えた清新なリーダー」であることを選び、国民に印象付けたかったのでしょう。

小沢一郎氏については、東京地検特捜部がそれこそ何年もかけて調査や捜査を行ってきました。3人の関係者(1人は国会議員)も逮捕して取り調べましたが、決定的な証拠など、何も出てきませんでした。ですから、検察は小沢氏を不起訴にしかできませんでした。それなのに、ここ数日の流れで、小沢氏は、「いつのまにか」悪の元凶とされてしまいました。そして、党の中枢から一気に追い出され、失脚した格好になっています。

小沢一郎と小沢グループの議員たちにはこれから厳しい状況が待っているでしょう。参議院議員選挙の改選組は直接的に、間接的に嫌がらせを受ける可能性があります。小沢一郎氏には政治倫理審査会への出席を求められると思います。。いや、それ以上に、「鳩山氏も議員を辞めるのだから、あなたもそうすべき」という圧力が強まる、もしくは、政治資金や女性問題でスキャンダルが仕掛けられることも考えられます。

ここまで見たように、西郷隆盛と小沢一郎氏は大変似ているように私は考えます。そうなると、私の関心は、小沢氏が、西郷のようになってしまうのかということです。西郷と同じように、小沢氏の周辺にも彼を慕い、彼のためなら水火も厭わない議員たちが多くいます。彼らが不遇に耐えきれず、また弾圧によって暴発、つまり党を割るということも考えられます。しかし、今はまだその時ではないのです。7月には参議院議員選挙、9月には代表選挙が行われ、状況は変化します。まずは一旦退却し、体制を整えて、あらん限りの方策を用いて生き残ることに専念すべきです。軽挙妄動や決戦主義で小沢氏もろとも敗れ去ってしまうことが最悪のシナリオであると考えます。

小沢氏を城山の西郷にしてはいけません。

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

「菅首相:組閣、枝野幹事長発表 代理に「親小沢」の細野氏」

2010年6月7日付 毎日新聞電子版

 菅直人首相は5日夜、民主党幹事長に枝野幸男前行政刷新担当相、官房長官に仙谷由人前国家戦略担当相、国対委員長には代表選に立候補した樽床伸二衆院環境委員長を充てる人事を発表した。首相官邸で記者団に語った。小沢一郎前幹事長に批判的な枝野氏の幹事長就任には党内から異論が出ていたが、首相の「脱小沢」路線が世論の支持を受けていることから起用に踏み切った。一方で、幹事長代理には小沢氏にも近い細野豪志前副幹事長を内定、樽床氏の起用と合わせ小沢グループにも配慮
した。
 
 菅首相は枝野氏起用について「選挙になれば首相より幹事長が(テレビなどで)論争することが多い。選挙の顔としてふさわしいと考えた」と説明。さらに「(小沢氏)外しとかは考えていない」と強調した。
 
 小沢氏の政治資金規正法を巡る問題では「国会でしっかり検討すべきものは検討する。詰めるものは詰めるし、できないものはできないし、そういう中で判断したい」とし、衆院政治倫理審査会への小沢氏の出席も検討する考えを示した。
 
 菅首相は同日、党本部で枝野氏、仙谷氏らと人事や政権運営などを協議。国家戦略担当相に荒井聡前首相補佐官、消費者・少子化担当相に蓮舫参院議員を内定した。荒井氏は農水省OBで首相側近。財務相には野田佳彦前副財務相を昇格させる。
 
 米軍普天間飛行場移設問題の担当閣僚だった岡田克也前外相、北沢俊美前防衛相、前原誠司前国土交通相は、米国や地元との折衝が今後も続くことから再任させ、長妻昭前厚生労働相、亀井静香前金融・郵政担当相らとともに11閣僚が続投となる。
 
 赤松広隆前農相は4日の記者会見で「結果として口蹄疫(こうていえき)を止められなかったけじめを付けたい」と再任を固辞したことから、残る閣僚ポストは農相と行政刷新担当相。枝野氏は5日夜、記者団に「政調会長と閣僚の兼務ができるか検討している。最終的に決めているわけではない」と説明した。
 
 3人の官房副長官には、古川元久前副内閣相を新たに起用し、参院枠の松井孝治前副長官は続投。官僚トップの滝野欣弥前副長官も留任させる。党選挙対策委員長には、非小沢系の安住淳衆院安全保障委員長を内定した。
 
 首相は7日午後に両院議員総会を開いて党人事の承認を得た上で、8日に組閣して「菅内閣」を発足させる。【坂口裕彦、小山由宇】

(新聞記事転載貼り付け終わり)
by Hfurumura | 2010-06-07 12:44 | 日本政治
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