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翻訳、評論の分野で活動するSNSI研究員の古村治彦のブログ
by Hfurumura
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『日本の原発技術が世界を変える』(豊田有恒著、2010年、祥伝社)からの抜き書きとまとめ①

古村治彦です。

私は原発について、全く無知でした。そこで本を読んで勉強しようと思い、この本を手に取りました。この本は、原発についての一般的な情報、歴史、世界的な潮流などについて、初めて学ぶ人にもわかりやすく書いてありました。大変勉強になりました。ここでは、数回に分けて、豊田氏の本の中から、重要と思われる部分を箇条書きで書きたいと思います。私は全く素人ですから、豊田氏の書かれていることに何かを付け加えるということはできないので、感想も何も挟まずに、書いておきたいと思います。豊田氏は「原発批判派」「原発やむをえず派」ということで、単純な「原発推進派」ではないということです。

(抜き書き・まとめはじめ)

まえがき(3-6ページ)
・原子力は、巨大産業である。

・温暖化の流れのなかで、各国がゼロエミッション(炭酸ガスの放出ゼロ)を目指す時代、発電の際に炭酸ガスを出さない原子力は、大いに期待されている。

・安全な原子力を、日本が輸出することは、世界に貢献する道なのである。

・1基の設置に必要なイニシャルコストは、4~5000億円にも上るから、景気のインセンティヴにもなる。

・石油や石炭よりも安く上がる。

序章 人類は、どう原子力を発見したか?(14-35ページ)
・核分裂能力を持つ元素:ウランとプルトニウム→ウラン型原爆(リトルボーイ・広島に投下)とプルトニウム型(ファットマン・長崎に投下)

・原潜のエンジンとして利用:アメリカ海軍の原潜の父・ハイマン・リコーバー

・ウェスティングハウス(WH)社:加圧水炉(PWR)

・ジェネラルエレクトリック(GE)社:沸騰水炉(BWR)

・1953年、アイゼンハウアー大統領のAtoms for Peace演説→原子力の平和利用

・1957年、フィラデルフィア州シッピングポートに原子力発電所

・イギリス:コールダーホース型原子炉:炭酸ガスで冷却(GCR):プルトニウム抽出の変換効率が高い

・GCRは原子力委員長の正力松太郎によって、1基だけ東海村の発電所に、強引に導入

・ソ連:黒煙チャンネル型(RBMK)

・インド:1956年にアジア初の原子炉アプサラ、64年に使用済み核燃料の再処理工場

・フランス:1945年にフランス原子力庁設立、電力供給の4分の3は原子力発電

・高速増殖炉は誤訳、fast breeder reactorなので高速繁殖炉とすべき

・冷戦期の平和は核の均衡によって保たれた:相互確証破壊(mutual assumed destrcution)

・トイレ(核の再処理工場)を造れないわけではないが、意地悪な大家のカーターさんが、造らせてくれなかった

・日本は核の平和利用だけという人類最初の夢に挑戦していくべき

・また場合によっては、その気になればいつでも原潜を配備したり、核武装したりできるという点を、大いにアピールする必要も生じるであろう。

・抑止力としては、核武装するという選択肢をちらつかせながら、平和利用という理想を国際社会に訴えていくしかない。綺麗ごとでは、核の平和利用という、理想を実現できないのだ

第一章 日本人は、どう原子力と付き合ってきたか?(38-71ページ)
・1940年の時点で仁科芳雄博士が陸軍航空技術研究所の所長安田武雄中将にすでにウラン爆弾の製造計画を進言していた

・1956年に原子力基本法制定:原子力研究所(茨城県東海村)、原子力燃料公社、放射線医学研究所設立

・1957年に小型研究炉JRR-1が臨界に達した(臨界とは原子炉の中で核分裂が一定の割合で進行すること)

・ホルミシス(放射強精):地球上の放射線は現在よりはるかに強かった。現存している生物はすべてこの放射能地獄をかいくぐって生き残ってきた種の子孫である。放射線を浴びると、
「たいへんだ、放射線が来たぞ。さあがんばって生き残ろう」というサインが出て、身体機能を強化するらしい。

・東京電力―GE社―沸騰水炉―東芝・日立の系列と関西電力―WH社―加圧水炉―三菱重工の系列

・1970年:日本原子力発電の幕開け:関電の美浜原発、日本原電の敦賀原発(69年)が稼働

・ドイツで冷却水をライン川に流したら、下流のオランダで稀少の魚が絶滅しかけた。日本の原発の場合、冷却水を流す先は広い海だから、こういった問題は生じない

・都会の偉い人が、反対であれ、賛成であれ、無責任なことを言い立てるのを、マスコミを通じて目にして耳にして、腹立たしい思いをしたことは、両三度にはとどまらない。

第二章 世界は、軽水炉を推進する方向へ、舵を切った(74-104)
・かつて日本は、アメリカに次ぐ世界第2の原発大国だった。しかし、被爆国民という心情から、世界で最も反対運動の激しい国となり、細々としか新規の原発の建設ができなくなり、
フランスに追い越され、3位に転落したのである。

・アメリカは初めから推進の一点張りだった。まだ原子炉の問題点などが、浮き彫りにならない時代に、反対運動の芽さえ存在しないころ、早くも100基以上の原発を稼働させてしまった

・日本は9電力会社であり、適正規模。アメリカは3000もある。老朽化した原発を抱えてもなかなか止められない。

・イギリスのGCR型は中の黒鉛が燃え出したが、ガスで冷却するタイプのため水が使えず、大量の放射性物質が環境中に放出された→イギリスの技術の凋落。

・ソ連の黒煙チャンネル炉は炉内で飛び交う中性子を黒煙で減速させるが冷却は水で行う。原子炉格納容器を持たない。

・言論の自由、情報の公開のない国では絶対に原子力開発をやってはいけないと確信したものだった。

・中国は核兵器を先に持ち、その後、エネルギー需要の急増で原発開発へ。1994年から。中国核工業公司(CNNC)が浙江省の泰山第一サイトを稼働。

・中国は自力開発といいながら寄せ集め。その後不具合が起き、結局フランスのフラマトム社(現アレヴァ社)と契約。

・インド:タタ財閥の支援で研究開発。インドではプルトニウム専門実験炉が早くから運転。トリウム炉:トリウムをウラン233に転換し使う。「夢の原子炉」→効率性が難点

(抜き書き・まとめ終わり)
by Hfurumura | 2011-03-22 10:18 | 日本政治
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