翻訳、評論の分野で活動するSNSI研究員の古村治彦のブログ
by Hfurumura
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福島訪問記②

ネクスト・ルネサンス 21世紀世界の動かし方

カンナ,P. /



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講演会が2時間ほどで終了し、その後は午後6時まで歓談が続きました。私はそこで近所にお住まいの還暦を過ぎた女性からお話を伺うことができました。

その方は3月11日の地震では大きな被害を受けなかったのですが、12日以降、避難を余儀なくされ、関東地方の親戚のうちに行き、その後、避難所に移ったのですが、避難生活2ヶ月ほどで家に戻ってこられました。今は自宅で生活しています。身の上話と共に避難生活について語ってくれました。

まず心に残った言葉は、「避難所から避難してきた」という言葉です。避難所は快適で三食昼寝つきで出たがらない人たちがいるという話もありますが、避難所の生活の実態を聞くと、避難所にいたくていると言う人は少ないのではないかと思いました。広い体育館で段ボールで仕切られていますが、プライバシーが制限され、生活していれば誰かの目に常に触れてしまいます。ご老人で支給される食べ物の量が多くて残すようなことがあると非難される、味付けが濃くて薄めようとしても注意されるというようなことがあるのだそうです。そういうゲシュタポ化する人々と一緒に生活するというのは大変なことです。ものを捨てるのでも、中身が分からないようにしなくてはいけません。また、移動するときにも「どこに行くんだ?どこに行ってきたのか?」と言われることもあったそうです。

また、避難所自体は仕方がないことですが、どうしても掃除が行き届かず、埃っぽくなり、呼吸器系を痛めてしまう例が多いのだそうです。私が話を聞いた方はマスクをして寝ていたということでした。寝苦しいが肺炎になって救急車で運ばれるよりはと思って我慢したそうです。そして、何より危ないと思ったのは、働き者だった自分が何もすることがなく、体を動かさなくなることで、それで家に帰れるようになったらすぐに帰ったそうです。家に帰れば家の掃除、庭の草取り、田んぼの草取り、お寺の掃除と草取りと大忙しだそうです。「避難所にいれば三食出るし、何でもものが貰えるが、それを何とも思わなくなったらお終いだ」とその女性は語っていました。

また東京電力からの仮払金はすでに振り込まれているということで、地震で倒れたお墓を元に戻すことができるので良かったというお話もしていました。

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↑復興活動本部から風力発電用の風車を望む↑

その日の夜は旅館に宿泊し、そこでも地元以外で東京やその他の場所から参加された皆さんとお話をすることができました。私はお酒は弱いのですが、おいしいお酒だとついつい飲んでしまって後で後悔するということをやってしまうのですが、会津から参加された方と会津のおいしい日本酒の一升瓶を間に置いて、さし向いで色々とお話をし、深夜までお酒を飲みました。会津の銘酒は飲みやすくて、おつまみなしでついつい杯を重ねてしまいました。次の朝に「飲みすぎたぁ、頭が痛い、寝不足だ」ということになりましたが。

私は鹿児島の出身で、「福島県では鹿児島から来たと言うと、戊辰戦争のことなどで非難されたり、冷たい反応をされたりする」というような都市伝説と言うか、噂話を聞いていましたので、話の途中で出身地の話になって少し緊張しましたが、「今はそんなことはないよぉ」というような話や、福島県内の政治についてのお話を聞いたりという有意義な時間でしたが、やはり二日酔いで朝ご飯が食べられなくなるほどお酒を飲んではいけないと反省しました。

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↑講演会の様子↑

6月5日は本部開きとミニ講演会の二日目です。この日から参加する皆さんや地元の方々が三々五々集まり、二日目のスタートです。バーベキューの食材は全部地元で買ったり、差し入れでいただいた取れたての野菜ばかりです。きゅうりは味噌をつけて丸かじり、トマトは何もつけずに丸かじり、レタスはマヨネーズをつけてほおばるといった感じで豪快に食べる、お肉も県内産をおいしく頂きました。福島県は農産物が豊かな農業県ですが、原発事故の影響で、農業が打撃を受けました。私の出身の鹿児島県もまた農業県であり、同じように県内に原発を抱えています。ふるさとを思う気持ち、それは多くの人々にあるものです。そのふるさとを失うか瀬戸際にあるという感情はどんなものか、実際にそうなってみないと正確には分かりませんが、想像することはできます。

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↑防護服も展示されました↑

二日目もほぼ同じスケジュールで、事務所開きと講演会が行われました。参加人数は前日とほぼ同じでした。地元の方々も前日よりも多くいらっしゃいました。この日は疲労もあり、なかなか頭と体が動いてくれませんでしたが、なんとか乗り切ることができました。



夕方になり、スケジュールが終了し、片づけにあまり参加できないことを申し訳ないと思いながら、本部を後にして郡山に向かいました。

今回お世話になった地域は20キロ圏内に近いということで小中学生は遠く離れた学校に避難しており、空家になっている家も多くありました。しかし、少しずつ帰って来る人々も増え、日常が戻りつつあります。自動販売機も作動し、お店も再開しています。生活が既に再建に向かっています。行政区では朝晩災害無線で放射能の線量検査の結果も発表しています。それを単純計算してこれがずっと続いたら年間線量がどれほどになるということをやっても10mSVには届きません。「1mSVじゃないから危険」と言う人たちからすればそれでも危ないということなのかもしれません。しかし、世界中で自然に浴びる放射線量が平均2.4mSV、日本では平均1.4mSVだと言われています。平均が単純に真中を示していないことは分かりますが、それでも1.0mSVと言えば、それ以上の場所では、生きていけないのか、ということになります。

福島県で生活をしており、また福島県でしか生きていけない事情がある人たちが生活の場から離れることなく、少しでも安心して生活できるようにすることが、政治の責任です。東京電力、保安院、経済産業省、自民党、各地方自治体、GEの責任を追及することは当然です。これも政治の責任です。しかし、今の民主党の政治家たちは福島県で生活をしていく人々に対して少しでも安心を与えようということを放棄しているように思われます。

今回は地域の皆さんにもお世話になり、福島県産の食べ物やお酒を堪能することができました。福島は広い県で、それぞれの地域が大変魅力的な場所です。歴史や伝統のある所が多く、食べ物も美味しいです。「あんな場所になんか行けるか」とお思いの方々に福島県に行ってみてくださいと申し上げて、考えを変えてもらえることは私の文章力では無理なことは分かっています。しかし、それでも少しでも行ってみたいと思われる方は、是非福島県に遊びに行ってみてください。

百聞は一見に如かず、とは余りにも使い古された表現ですが、これに尽きます。そして一度でも足を運んだ場所のことは、行く前よりも、自分のこととして考え、思えるようになると思います。それもまたひとつの支援の方法ではないかと私は考えています。

(終わり)
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by Hfurumura | 2011-06-07 17:21 | 福島
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