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翻訳、評論の分野で活動するSNSI研究員の古村治彦のブログ
by Hfurumura
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中国新指導部についての最新論文:フォーリン・ポリシー誌から①

アメリカ政治の秘密

古村 治彦 / PHP研究所



失われた機会?:中国の指導部移行の内部(Opportunity Lost? Inside China's leadership transition.)

チェン・リー(Cheng Li)筆
フォーリン・ポリシー誌(Foreign Policy)
2012年11月16日
http://www.foreignpolicy.com/articles/2012/11/16/opportunity_lost
http://www.foreignpolicy.com/articles/2012/11/16/opportunity_lost?page=0,1

中国新指導部についての最新論文:フォーリン・ポリシー誌から①_c0196137_17255318.jpg


 世界のもう一つの超大国と人々が認める国、中国ではあるが、私たちは、中国の新指導者としてお披露目された7名の政治家たちの世界観、価値観、社会経済的政策についてほとんど何も知らない。これには私自身も驚いている。アメリカの政治家とは異なり、中国の政治家たちは、選挙運動のほとんどを閉ざされたドアの向こうで行う。そして、彼らは人々の投票によって選ばれることもない。

 今年(2012年)、中国では10年に1度の権力の移行が行われた。今回の権力移行は、これまでに比べても特に不透明なものであった。今年に入って、これまでにないほどの数多くの政治スキャンダルが発生した。その一つが、今年の3月に発生した、重慶市党委書記である薄煕来(Bo Xilai、はくきらい)の劇的な失脚であった。薄煕来は、野心的なそしてカリスマを備えた中国共産党の重要幹部であった。その彼が彼の妻が絡んだ殺人事件によって地位を追われた。もう一つのスキャンダルは、令計劃(Ling Jihua、りょうけいかく)の突然の解任だ。令計劃は、胡錦濤(Hu Jintao、こきんとう)の首席補佐官であり、第18期中国共産党大会が開催されるまでは、権力の中心にいた人物である。これらの驚くべき出来事は、中国社会の不安定さを高める危険性を増大させている。また、政治がどこに向かうか、不確実さもまた増大させている。そして、新しい新指導部の構成もまたこうした危険性を増大させている。

 中国の新しい指導者たちがお披露目された今、私たちは、いくつかの重要な疑問に答えることができる。それらは、「明らかな勝者と敗者がいるのか?新しく昇進した指導者たちのアイデンティティをしることで、中国がどこに向かうかが分かるだろうか?」である。

 ここで結論を言うと、中国の最高意思決定(統治)機関である中国共産党政治局常務委員会(Politburo Standing Committee)は、経済改革を次のステップに進めるためにその方向性とペースを決定するだろう。そして、中国の社会・政治に関する変革も始めることになるだろう。中国では、アメリカなどよりも顕著であるが、人事が政策の最重要要素となる。つまり、中国の政策を理解するためには、今回行われた歴史的な指導部交代のあらゆる側面を見ることが必要である。それらは、今回の指導部交代のプロセス、選抜方法、派閥間の力の均衡である。

中国新指導部についての最新論文:フォーリン・ポリシー誌から①_c0196137_17241814.jpg

①習近平(しゅうきんぺい、59歳、太子党):党総書記、中央軍事委員会主席、中国国家主席
②李克強(りこっきょう、57歳、団派):国務院総理
③張徳江(ちょうとくこう、66歳、太子党):全国人民代表大会常務委員長
④兪正声(ゆせいせい、67歳、太子党):中国政治協商会議主席
⑤劉雲山(りゅううんさん、65歳、団派だが江沢民に近い):中国国家副主席、中国共産党中央書記処第一書記
⑥王岐山(おうきざん、64歳、太子党):中国共産党中央規律検査委員会主席
⑦張高麗(ちょうこうらい、66歳、太子党):国務院常務副総理

 党大会が開催される前、大きな事件が次々と起こった。薄煕来スキャンダルはその最たるものだ。こうした事件を考慮に入れないと、今回の指導部交代は、中国史において、2回目の平和的な権力移行であったと言える。1回目の平和的な移行は、2002年の時で、江沢民(Jiang Zemin、こうたくみん)から胡錦濤へと権力が移譲された。今回の指導部交代は、規則や規範に則って行われた。年齢制限も守られた。中国共産党中央委員会(Central Committee)は、中央、地方の重要な政治家たちによって構成される指導組織である。今回、1944年以前に生まれた中央委員たちは全員その地位から退いた。今回の党大会における、主な指導組織の構成員交代の割合は大変高くなった。中央委員会では64%、中央規律検査委員会(反汚職における国家最高機関)では77%、政治局常務委員会では71%、中央軍事委員会(中国人民解放軍をコントロールする組織)では64%となった。これらの組織の過半数が初めて委員として選ばれた人々によって構成されることになった。

中国新指導部についての最新論文:フォーリン・ポリシー誌から①_c0196137_1725690.jpg

第18期党大会での中国の各指導組織の構成員交代の割合(黄色が新メンバーの割合):Central Committeeは中央委員会、CDICは中央規律検査委員会、Secretariatは中央書記処、Politburoは政治局、Politburo Standing Committeeは政治局常務委員会、CMCは中央軍事委員会

 これまでの党大会と同様、中国の指導部は、中央委員会については、複数の候補者からの選挙という方法を採用した。これは、「委員の数よりも多い候補者からの選挙(差額選挙、cha'e xuanju)」として知られている。今回の中央委員会の委員の選抜の場合、党大会の出席者約2200名が、205名の中央委員会の委員を選んだ。候補者は224名であった。つまり、候補者のうち、9.3%は落選することになっていた。中央委員会の委員候補(alternate members)の選抜もほぼ同じで、190名の候補者から171名を選抜した。約11.1%の候補者が落選した。

 中央委員会に落選した人たちの中には、政治局入りも噂されていた国務院商務部長陳徳銘(Chen Deming、ちんとくめい)や中国政界において影響力のある女性の一人である国務院監察部長馬馼(Ma Wen、ばぶん)がいる。国務院監察部は、政府の官僚たちの調査を行う省庁である。国務院財政部長謝旭人(Xie Xuren、しゃきょくじん)、国家発展改革委員会主任張平(Zhang Ping、ちょうへい)、中国人民銀行(中国の中央銀行)総裁周小川(Zhou Xiaochuan、しゅうしょうせん)、中国人民解放軍の最高幹部である上将章沁生(Zhang Qingsheng、しょうしんせい)が、年齢は基準に達していたいのだが、中央委員に落選した。

 胡錦濤は、今回の指導部交代で、中央軍事委員会主席の地位からも退いた。前任の江沢民は、国家主席の座から退いても、その後2年間、中央軍事委員会主席の座にとどまった。胡錦濤は、権力をすべて手放した。胡錦濤は、より制度化された完全な政治指導部交代の具体例を示したと言える。そして、党、国家、軍の関係をより強固なものにした。

 これらの制度的なルールや規範は何も新しく導入されたものではない。今回の党大会で採用された制度化された方法の多くは、第13期党大会(1987年)と第15期党大会(1997年)に導入されたものだ。1987年の党大会で中国共産党は、中央委員会の「委員の数よりも多い候補者からの選挙(差額選挙、cha'e xuanju)」を1987年に導入した。公開選挙の規模や大きさは、落選する候補者の割合を見る限り、ここ25年間でそこまで拡大していない。

 政治局と政治局常務委員会の場合は、複数の候補者からの選抜は行われていないようである。政治局員や政治局常務委員は今でもこれまでの古い方法で選抜されている。裏舞台での合意形成や引退した長老たちが影響を及ぼしている。政治局や政治局常務委員会のレベルに党内の複数候補者からの選挙を導入すれば、指導部の正統性を担保することになり、エリートたちの結束を高めることになっただろう。しかし、今回、複数候補者からの選抜という方法を採用しなかった。これは、中国の指導者たちが大きな機会を失ったということが言える。

(つづく)

アメリカが作り上げた“素晴らしき"今の世界

ロバート・ケーガン / ビジネス社


by Hfurumura | 2012-11-19 17:26 | 中国政治
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