翻訳、評論の分野で活動するSNSI研究員の古村治彦のブログ
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学問道場福島復興活動本部訪問記

アメリカ政治の秘密

古村 治彦 / PHP研究所



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2012年10月16日から18日まで、「副島隆彦の学問道場」福島復興活動本部(以降は活動本部と表記します)を訪問してきました。今年の6月以来、4か月ぶりの訪問となりました。今回は、活動本部に常駐している、吉見理さんに会い、何か足りないものはないか、不便はないかということを聞いて、もし何かあれば解決するということが目的でした。今回、何も大きなトラブルもなく、自動車のタイヤが釘を踏んでいてパンクしていたのを修理してもらうくらいでした。

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活動本部がある田村市都路は、朝の気温が摂氏6度に下がるほど寒くなっています。朝夕は石油ストーブをつけたほどです。夜になると、外に出れば息が白くなり、秋が深まっていることを実感します。吉見さんは、活動本部で一冬を過ごしたので、「こんなことで驚いてちゃいけませんよ」「冬になればもっと寒くなり、雪も多いんですから」と笑って話してくれました。

14日は午後3時過ぎに活動本部に到着しました。私の住んでいる関東近郊からは、新幹線、在来線、路線バスを使って3時間ほどで着きます。本部に着いて、中の様子を見て、その後、吉見さんから6月以降の話を聞きました。

先週、都路の隣の川内村を天皇、皇后両陛下がご訪問になり、その時には警備の警察官や歓迎する人々で大変な人だかりだったそうですが(吉見さんもその中に入り、天皇、皇后両陛下が自動車で通られるのを見たそうです)、今はいつものように静かな状況です。川内村にはだいぶ人が戻り、ラーメン屋さん、すし屋さん(昼は定食もやっている)も営業を再開したということでした。

翌日(17日)は自動車のタイヤのパンクの修理に手間取り、夕方になってしまい、雨も重なって、本部にいることになりました。タイヤは釘を踏んでいて、そのタイヤの修理に2時間以上かかりました。修理が終わったので、翌日は川内村にまで行くことにしました。この日は活動本部にかかわる事務的なことを見せてもらいました。

18日は、前夜に少しお酒を飲み、それが残っていて元気が出なかったのですが、車を運転して川内村まで行ってきました。吉見さんは自動車運転免許を持っていないので、自転車で15キロほど離れた川内村まで行くとのことでした。川内村には、以前にもご紹介した「かわうちの湯」という温泉がありますので、それに入りに行くということです。

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川内村では警戒区域の解除でだいぶ人が戻っており、先ほど書いたラーメン屋さんなどだけでなく、酒屋さんや衣料品店も再開していました。これは6月には見られなかったことです。路線バスも再開しました。

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川内村に人が多いのは、除染作業をやっていることが原因の一つとして挙げられます。家の外壁や自動車、山林などを除染しています。除染に関わっているのは、地元の建設業者だけでなく、県内、県外の人たちもいるようです。県外の自動車のナンバー(庄内、福岡、大分など)を見ました。写真にある黄色のタンクに水を詰めて、それで除染をしていますが、流した水はそのままだし、地元の学校のプールにあった水で除染をしていたということですから、それなら極端な話、雨が降るのに任せても良いのでは、と思いました。

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昼前に、川内で営業再開した「川幸」という寿司屋さんに行きました。川幸は、お昼は定食もやっていて、二人で焼き魚定食をいただきました。ムツと秋刀魚を頼んだのですが、大きな秋刀魚が出てきました。新鮮な、大きな秋刀魚を寿司屋で食べることができるというのは、当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが、ほんの数か月前のことを考えると、信じられない思いでした。

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お店の中には、NHKのキャスター大越健介さん(東大野球部史上屈指の名投手の一人)や、日本テレビ、日本経済新聞社や地元のテレビ、ラジオの取材陣が書いた色紙が貼られていました。また、除染作業を行っている作業服姿の人たちも来て、お店は繁盛していました。

午後のバスで都路から帰る予定にしていたので、川内村を見て、そのまま帰ってきました。活動本部に帰る途中、都路の高台にある都路中学校に行ってみました。都路中は、現在、除染作業員の宿泊所、待機所になっており、ここにも県外ナンバーを含め、多くのトラックや自動車が止まっていました。そして、昼の休憩が終わったであろう午後1時過ぎ、一斉に作業のために、自動車に乗って出ていく人々の姿が見えました。ちなみに除染作業をしている人たちはマスクや防護服を着ています。

活動本部に戻り、荷物をまとめて路線バスに乗り込みました。都路からJR磐越東線の船引(ふねひき)駅までは約50分かかります。その間の田んぼはお米を作っている様子もなく、そのままになっていました。しかし、磐越東線で郡山に向かう途中の田んぼでは、稲の収穫も終わり、収穫した稲を干しているところが見られました。

少しずつですが、日常に戻りつつあります。完全に大震災の前と同じというわけにはいきません。それでも人々が戻り、生活が始まるとバスが通り、お店が開く、道端で談笑している、こういうものを見ると、やはり良いものだし、数か月前からしたら大変なことだと単純に嬉しくなります。

しかし、今のところ、大きな産業が除染と役場の仕事というのはやはりいつまでもは続かないものです。元々、高齢化が進み、過疎が進んでいるという日本の地方が共通して抱える問題を都路にしても、川内村にしても抱えているのですから、大震災前に戻るということは、結局、高齢化、過疎化が進行するということになります。カンフル剤が効いていても、いつまでもカンフル剤ばかりは投与し続けられないということになります。

 大震災からの復興がなっても、結局人がいなくなるということもあり得ると私は思います。何か振興策を考えると言っても、それは今までさんざんやったよ、たくさんの人が考えてきたよと言われると、残念ながら何も言えません。

 人々の生活が戻って素晴らしいことだと思いながら、その先はどうなるのかということを考えると手放しでは喜べないのだなという気持ちになりました。

アメリカが作り上げた“素晴らしき"今の世界

ロバート・ケーガン / ビジネス社


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by Hfurumura | 2012-10-19 17:04 | 福島